2010-03-01から1ヶ月間の記事一覧

「釈尊仏教とは三宝帰依なり」 信とは純情

信とは純情 信というと、日本ではすぐに信頼、お助け下さいとすがりつくという方式にとらえてしまいやすいが、本来、信はまごごろ、一心、教祖の言に対して、あゝ思い、こう解釈するといった二心を持たないということである。つまり粋真、純情であるというこ…

三宝法典 第二部 第六五項 聖なる弟子の数々

聖なる弟子の数々 時に世尊、ビクらを集め、世尊に従いしあまたのビク衆の特長を仰せられたり。 「ビクらよ、わが弟子のビクのうち、最も早く弟子となりたるはアンニヤコンダンニャなり。知恵第一はサーリプッタなり。神通第一はモッガラーナなり。清浄の行…

「日本宗教の無拘束と不毛」 仏教の非難され易い点

仏教の非難され易い点 儒からは、忠孝の道が欠けている-とされる。これは出家によって親妻子を養わないからである。釈尊仏教は妻子の生活の道が立った上での出家である。在家の信者は政治体制への順応や、孝道など親子の道は充分に教えられていた。日本仏教…

三宝法典 第二部 第六四項 カピラ城の滅亡

カピラ城の滅亡 ビドーダバ王は兵を進めてカピラ城に迫りたり。カピラ城の住民は弓術に巧みなれば矢を射かけて耳をそぎ、あるいは弓を射るして一人の生命をも取らざりしなり。その巧みさにおそれて王は退かんとせるも「シャカ族の人々は規律を守り虫をも殺さ…

「釈尊仏教とは三宝帰依なり」  人間のための宗教

人間のための宗教 仏教に限らず、宗教は人間のためにある。人間がどのような生き方をするか、ということが人間にとって一番大事なことだからである。だが考えなればならないのは、どのような生き方をするか−ということは一番大事な生き方をすることをめざす…

「日本宗教の無拘束と不毛」  仏教者は応答せよ

仏教者は応答せよ 日本仏教には、各宗派はあるが、原始が明立していない。これは日本人の体質としての絶対不在によるものではあるが、宗教の本質上からみれば、まことに奇妙なものである。なぜなら、宗教は絶対への帰投、ないしはそれへのあこがれなのだから…

三宝法典 第二部 第六三項 親族の葉かげ

親族の葉かげ 世尊、祇園精舎にましませる時、親族に対する利益ある行いにつきて説きたまえり。サーバッティーのアナータピンディカ (給孤独長者)の家には、つねに五百のビクに対する食物が用意せられたり。またビサーカの家にても、コーサラ王の王宮にて…

「仏教とは誰でも進める生涯学習」 解決原埋がそれに答える

解決原埋がそれに答える 貧しさは自己を統一させ、自己を強化するものであるが、物の豊かさは、さらにぜいたくを求め、地位、名誉、支配、そして戦争へとつながってゆく。この過程で一部の人は、文明文化への疑惑を持たざるを得なくなり、輝やかしい自己分裂…

日本宗教の無拘束と不毛

慈雲尊者 法語抄 宗旨がたまりは地獄に堕するの種子。祖師びいきは慧眼を害するの毒薬。今時の僧徒多くは我慢偏執ありて、我祖は仏菩薩の化身なりと云ひ、天地の変陰陽の化をとりて、我祖師は不思議の神力なりと説き、愚痴の男女を誑す。仏説によるに、末法…

三宝法典 第二部 第六二項 パセーナディ王の法塔

パセーナディ王の法塔 時に世尊、鹿子母講堂にとどまり、日中の暑さをすごされたまい、夕暮れ静思より出でられて、水浴ののち、背を乾かさんがために坐したまえり。 アーナンダは手にて御身体をなでて申し上げたり。 「世尊、世尊のかのうるわしき肌の色つや…

「仏教とは誰でも進める生涯学習 」 哲学から宗教へ

哲学から宗教へ 今日、仏教の解説書を読むと、哲学思想として『縁起』のことにふれている。しかし釈尊は単に思想哲学を求めたのではない。その縁起という根本真理をつかむことによって、知的追求を終らせ、感情的安定を確かなものとし、ついに自己を解決なさ…

真のリーダー

「真のリーダー」 釈尊の仏教が、多くの信仰や宗教との違いを見せるのは、開祖である釈尊自身が真のリーダーであるという事である。人間を超絶した偉大な力や絶大な愛を持つとされる神や仏けを、信仰の対象とす第六十一項は「三宝聖典」の中の名所である。こ…

三宝法典 第二部 第六一項 反省の日

反省の日 時に世尊、サドバッティの鹿子母講堂にて安居を終え、月の十五日、定めのごとく五百のビク衆と共に反省の集まりをなしたまえり。しばらくの間、大衆を見廻したまえる世尊はやがて仰せられたり。 「ビクらよ、われは覚りを得たるバラモンにして、大…

「仏教とは誰でも進める生涯学習 」 仏教とは何か

仏教とは何か仏教とは何か−ということは、人間とは何か−ということと同じと云ってよかろう。私の師、水野弘元先生は仏教を説明して、『人間はいかにあるか、人間はいかにあるべきか』と云われる。仏教とは人間を求め、人間のあるべき「ありよう」を求めるも…

「活き活きとした信仰」 (下)

「活き活きとした信仰」(下) 釈尊仏教が何故、活き活きとしたものであったのだろうか。それは『人間対話』であると私は考える。このアバヤ王子は難問に対してどんな反応を、この高名な宗教者は示すであろうかと大きな興味を持って対話する。それは絶対仏に…

「活き活きとした信仰」 (上)

「活き活きとした信仰」(上) 『小次郎、破れたり』と武蔵が釘をさした一節を思い出す。こんな比較をしてはお釈かさまに対して申し訳ないが、ここの所を拝読するたびに、いかにも信仰が活き活きとしたものであった事を、強く思わせられるのである。金ピカの…

三宝法典 第二部 第六〇項 王子と法義説

王子と法義説 時に世尊、ラージャガハのカランダカニバーパ竹林園にとどまりたまえり。ビンビサーラ王の子、アバヤ王子がニガンダのナータプッタを訪ねたる時、ニガンダは言えり。 「王子よ、シャモン・ゴータマの論を破るべし。さればおんみの名声は天下に…

三宝に帰依

導く者のあり方 では釈尊仏教は、どういうものであろうか。信者、初心者側から始まるのでなく、導き手から話は始まるということを第一項(三宝聖典 第一部 第一項 三宝 )は示す。釈尊は直弟子であるアーナンダに「おんみみずから、かれらを導かんとなすなれ…

仏教真実

『仏教真実』 釈尊仏教における真実とは何か ただ単にとらわれのない心になる事ではない ただ単にはからい心を捨てる事ではない 人間の中核が霊的であろうとなかろうと 縁によって生じ縁によって滅してゆく存在 この事実と理法を学習体得する事なのだ この…

おりじなる童話 ゴリラになった ごんた

吉永光治のおりじなる童話 ゴリラになった ごんた あるむらに てっぽううちの めいじんが いた。 なまえは ごんた。ねらった えものは いちども にがした ことが ないのが じまんだった。 あるひ ごんたは やまに でかけた。 いつもは やまに はいると すぐ …

三宝法典 第二部 第五九項 世尊の温浴

世尊の温浴 世尊、サーバッティーにとどまりたもう時、風気を病みたまい、つきそい人なる尊者ウパバーナを呼びて仰せられたり。 「ウパバーナよ、おんみ、わがために温湯を持ち来たれ。」と。 尊者ウパバーナは衣をつけ、鉢をとりて、デーバヒータ・バラモン…

三宝に帰依

「三宝に帰依」 宗教は形式や強制ではない 仏教とは何か−という捉え方に今日大いに問題があるようである。先日、浄土門からキリスト教の牧師になられたJ・S氏の文を読んだが、アミダ仏という仏けが実在的でないということが、転宗の最大の理由とのことであ…

「非情の正導」 (下)

「非情の正導」(下) 釈尊の時分には、借金や病気があったりする者は弟子にして貰えなかった。それらは世俗生活の持ち越しになり、他の修道者の迷惑にもなりかねない。何分にも自分で托鉢に行き、野宿する修道生活だから、日本のお寺の跡とりなどというのとは…

おりじなる童話 ガラスのコップの話

吉永光治のおりじなる童話 ガラスのコップの話 だれがおとして わったのか ガラスのコップが ないていた つきよのばんに ないていた コップのなきごえ きいたのか にわのこおろぎ やってきて ガラスのコップに ききました 「どうして ないているのです」 コ…

三宝法典 第二部 第五八項 アジャセの病い

アジャセの病い ビンビサーラ王は、その夫人がアジャセにとじこめられてより、食をたたれて、わずかに窓よりギッジャクータ山の木々の緑を仰ぎ見て、心の慰めとせり。太子はこれを聞きて、その窓をふさがしめ、足裏をけずり立ち得ざるかごとくなせり。 その…

釈尊出生の意義 (下)

釈尊出生の意義 (下) 個人の目覚め 物欲のはげしさで、今、日本中がわき立ち浮き足立っているのは誰でも知っている。そして世界の軽蔑のまととなりつつある。丁度、それはかってのアメリカのよう。貧しさが非行の原因だったこともある。しかし今や豊かさが、…

「非情の正導」 (上)

「非情の正導」(上) 病い重くしかもなお、未だ悟りにゆきついていない弟子に対してこれはまた何と非情なことであろうか。お前はこの信仰の道に入っているのだから、必ず救われる、何も案ずることはない、といったいわば労りの言葉をかけられるのが、本当の慈…

おりじなる童話 おふろへおいでよ

吉永光治のおりじなる童話 おふろへおいでよ 「はやく おふろに はいりなさい」 おかあさんが よぶのは 三かいめ。 「はーい すぐはいりまーす」 おかあさんの こえに はじかれるように ぼくは ふろばへ はしった。 いそいで ふろの ふたを あけて はいろう…

三宝法典 第二部 第五七項 デーバダッタの最後

デーバダッタの最後 デーバダッタは二大長老が弟子らをつれ去りしことに苦しみ、血を吐きて病いを得たり。その時、かれの心に良心がわき、 「九ヵ月の間、われは如来に対して不利益をはかれり。しかるに、ブッダ世尊は われに対し悪心を持ちたまわず。八十人…

釈尊出生の意義 (上)

釈尊出生の意義 時代を救う 釈尊はニつの大きな期待を負わされて、出生された。武力によって強い国が勝ち、国をその征服王の野望によって大きくしょうとする戦乱。文化が開けてきて、一体人間は何のために生きるのであるか、それが分からぬがための思想の混…