三宝法典 第二部 第六〇項 王子と法義説

王子と法義説

時に世尊、ラージャガハのカランダカニバーパ竹林園にとどまりたまえり。ビンビサーラ王の子、アバヤ王子がニガンダのナータプッタを訪ねたる時、ニガンダは言えり。

「王子よ、シャモン・ゴータマの論を破るべし。さればおんみの名声は天下にひびきわたるならん。」

「大徳よ、われのごとき者が、いかにしてかの偉大なるシャモン・ゴータマの論を破りうるや。」

「王子よ、まずシャモン・ゴータマのもとに参り『如来は他にこころよからぬ言葉を言わるるや』と問うべし。もしかれがしかりと答えたれば『しからば如来は俗人と何らの区別なし』と非難なすべし。またいななりと答えたれば『如来は何ゆえにデーバダッタは長き間、地獄に沈むべきもの、救われざるものなりと、かれの腹立つがごとき言葉を語りたもうや』と非難なすべし。シャモン・ゴータマはこの両端ある問いに、吐き出すことも飲みこむこともなし得ざるべし。」

かくて王子は、世尊のみもとに参りしも、陽の高きを見て、明日議論なさんと思い、世尊とその三人のみ弟子を食事に招待せり。

翌日、世尊は王子の家におもむかれ、王子手ずからの食事を終わりたるのち、王子は下座にて世尊に申し上げたり。

「世尊は、他にこころよからぬ言葉を語りたもうや。」

「王子よ、そはいちがいに言うをえず。」

「世尊、ニガンダは敗れたり。」

王子は昨日のニガンダの入れ知恵なるを語りたり。その時、アバヤ王子は幼き子を膝にいだきてあれば、世尊は仰せられたり。

「王子よ、もし親の不注意にて、この幼児が、木ぎれ、焼きもののこわれを口に入るる時はいかになすや。」

「ただちに取り出すなり。時には頭をおさえ口に指をさしこみて、血を出すとも取り出さんとなすなり。そは子をあわれみ愛するがゆえなり。」

「王子よ、しかり。如来は他のこころろよからぬことにて、真理にかなわず、利益
にならざることは語らず。如来は真理にかない、利益になるなれば、こころよからぬことも、よき時をみて語るなり。そは衆生をあわれみ愛するがゆえなり。」
 
「世尊、セッテーリ・バラモン・シャモン・在家者などの賢き人々に対し、あらかじめかくのごとく問われたるなれば、かくのごとく答えんと思案したもうや。」

「王子よ、おんみは車に対し、くわしき知識を有するや。」

「しかり、世尊。」

「この車に対し、あらかじめ人の問いを思案して答えんとなすや。」
 

「いななり。車に対し、よく知れるがゆえに、ただちに答をなしうるなり。」

「王子よ、如来は法の世界に対し、よく知れるがゆえに、何びとの問いにもただちに答えうるなり。」

アバヤ王子は、世尊のこのみ教えを喜びて、生涯ウパーサカたることを誓いたり。

南伝一〇巻一六九頁中部五八アバヤ・ラージャクマーラ・スッタンタ