三宝法典 第二部 第六二項 パセーナディ王の法塔

パセーナディ王の法塔

時に世尊、鹿子母講堂にとどまり、日中の暑さをすごされたまい、夕暮れ静思より出でられて、水浴ののち、背を乾かさんがために坐したまえり。

アーナンダは手にて御身体をなでて申し上げたり。

「世尊、世尊のかのうるわしき肌の色つやはうせ、なめらかなる御身体にしわ現れ、腰は前にかがみ、御目も御耳も変わりたまえり。」

「アーナンダよ、おんみの言えるがごとし。青春に対し老あり、無病に対し病あり、生存に対し死あるなり。われ年八十におよびて、肌の色つやはうせ、しわ現れ、目耳も変わりたるなり。」

「老にのろいあれ、老は美しさをそこない、見る目によき形をふみにじる。さらに百年の寿命を重ぬるも死をのがるることかたし。何ものも除くものなし。」

かくのごとく法を説きたまえる時、パセーナデイ王は美しき車を飾りて、世尊を精舎に訪い、世尊の近くに進みて申し上げたり。

「世尊、生けるもののうち、老と死とをまぬがるるものありや。」

「大王よ、老と死なき生はありがたし。家富み栄え、なに事も思いのままなるバラモンもセッテーリも、老と死をまぬがるることかたし。煩悩をことごとくほろぼし、なすべきことをなし終わり、罪の重荷をおろし、清浄の目的をはたしたる聖者の身体も、この破滅をのがるることかたし。」

世尊は王の乗り捨てられし、美しき車に目をやられて仰せられたり。

「美しき王の車もこわるるなり。この身老いゆくなり。正法ひとり老いず、世世のみ仏け説きたもうものなり。」

パセーナディ王は世尊のみ教えを喜びて去れり。

世尊はビクらを呼びてさらに説きたまえり。

「ビクらよ、世間の人々は、四つの事を喜び、四つの事を憎むなり。かれらが喜ぶ四つの法とは、青春と健康と生存と愛する人々と共なる事なり。憎める四つの法とは、青春が老いに変わり、健康が病気に変わり、生存が死に変わり、愛する人々と別るる事なり。

ビクらよ、またここに四つの法ありて、これを悟れば右の四法をはなるることを得る。悟らざれば永久に右の四法をはなるることを得ざるなり。その四法とは聖なる規律と、心の統一と知恵と解脱なり。

ビクらよ、生老病死をはなれたる覚りを求め、愛するものに別るることを思うべし。」と。

かつてパセーナディ王に、パンドラと言える将軍あり、すぐれし人格者にて人々の信頼を受けたるも、老年になりて心の友なるマッリカー夫人を失い、正しき導きをはなれし王は、他の家臣のざん言を信じて、この将軍とその子らをあざむきて殺せり。王はのちにこれを深く後悔し、将軍の甥デーガ・カーラヤナを将軍にとりたてたり。

時に王は、カーラヤナをともないて、メータルパ村にまします世尊をおとずれて、念じ歩みをなしつつある、あまたのビクに世尊を問えり。

「王よ、世尊はこの閉ざされし部屋に居りたもうなれば、静かに近づきて縁にのぼり、咳ばらいなしてかんぬきをたたきたまえば、世尊は戸を開きたもうならん。」

王は剣と冠その他の王のしるしを取り去りてカーラヤナに渡し、一人教えられたるがごとく進みて、世尊の部屋に入り、そのみ足を頭をもって礼拝し挨拶せり。

「大王よ、いかなる理由にて、かくのごとく丁ねいなる挨拶をなしたもうや。」

「世尊よ、われは世尊と三宝に対する信を持つなればなり。世尊は正覚者、法は世尊によりて説かれしもの、サンガば善き行いの和合衆なり。十年二十年と清浄の行を修めつつ、五欲にふけり楽しむシャモン、バラモンもあり。われは世尊の教団のごとく清浄円満なる修行を見ざるなり。これ世尊と法とサンガに対し、正しき信を持つ一つの理由なり。

また王と王は争い、セッテーリ、バラモン、親子兄弟、あい争うなかに、この教団においてはビクら互いに和合して、水と乳のごとく争うことなく、慈しみをもって和合なすなり。これ世尊と法とサンガに対し、正しき信を持つ理由なり。

またシャモン、バラモンの修行者にして顔色青ざめ、血管太く現れ、人を見る目のすわらざるを知る。かれらにかくしごとのあるやを問えば、黄胆の病いあるなりと答えるなり。世尊の教団にては人々喜びて修行し、求むることなく、平静にして鹿のごとく、やさしき心にてすごせり。これらの大徳らは、世尊のみ教えのすぐれたる点を見るがゆえならん。これ世尊と法とサンガに対し正しき信をもつ理由なり。

われはセッテーリの王なれば、殺すも生かすも、人々を追放なすも思いのままなるも、裁判の時、わが話に口さし出して静かならざるも、ここに世尊、教百の集いに法を説きたもうに、弟子のうち一人なりとも咳一つなすものなし。かつて世尊、法を説きたもう時、あるビク咳をなせるに同学の人、膝をつきて静かにせよ、われらが師、法を説きたもうがゆえにと注意せり。剣も用いず杖も用いずしてこの集りのよく調えられたるはまことにすぐれたるなり。これ世尊と法とサンガに対し、正しき信を持つ理由なり。

また賢くして議論に巧みなるセッテーリの人々、各地をへめぐり、世尊の到着を知りて問題を用意し、議論をなさんとせるも、世尊は法を説いてはげまし、かつ喜ばしめたもう。かれらはその法話により、問いもかけず、議論もせず、必ず世尊の弟子となることを告白せり。これ世尊と法とサンガに対し、正しき信を持つ理由なり。またイシーダッタとプラーナの二人は棟領にして、われより報酬を得る者なるも、世尊に対するがごとくわれに尊敬を示さざるなり。かつてわれ軍を進めし時、従いしかれら二人は、宿にて夜ふけまで法話をなし、世尊のいます方を問いただして、世尊の方へ頭を向け、わが方を足にしてやすみたり。かれらは世尊のみ教えのすぐれたる点を見るがゆえならん。これ世尊と法とサンガに対し、正しき信を持つ理由なり。

世尊、世尊もセッテーリ、われもセッテーリなり。世尊もコーサラ人、われもコーサラ人なり。世尊も八十、われも八十なり。世尊、これによりて、われは世尊にこの上なき尊敬をはらい、心の供養をなすなり。」

王はかくのごとく語り、右にめぐりてその場を去れり。

世尊はビクらに仰せられたり。

「ビクらよ、コーサラの国王パセーナディは法塔を立てて去れり。ビクらよ、この法塔を受けつぐべし。この法塔をくりかえし論じ、この法塔を伝えよ。ビクらよ、法塔は利益あり。実に修行の根本なればなり。」
(パセーナディ王が正しき信を告白なしつつある間に、デーガ・カーラヤナは五つの王のしるしを取りて、サーバッティー城に走り、ビドーダバ太子を立てて王となせり。この事を知れる王は、わずかなる家臣に守られて南に下り、娘むこのアジャータサット王に頼らんとせるも、老衰のための中途にて死亡せり)

南伝一一巻上一五七頁中部八九法荘厳経

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