三宝法典 第二部 第六一項 反省の日

反省の日
時に世尊、サドバッティの鹿子母講堂にて安居を終え、月の十五日、定めのごとく五百のビク衆と共に反省の集まりをなしたまえり。しばらくの間、大衆を見廻したまえる世尊はやがて仰せられたり。

「ビクらよ、われは覚りを得たるバラモンにして、大医王として衆生の毒の矢を抜くものなり。おんみらはすべてわが子にして、わが心より生まれ口より生まれ、法より生まれたるものなり。

さてわれ、おんみらに問うなり。安居の間、おんみらに対し、われあやまちを犯せしことなきや、わが身と口と心において責むるべきことなかりしや。」

世尊のみ声はおごそかにひびき、強く大衆を感動せしめたり。一座の者、ただただ静かに、答えるものなく、このみ言葉を世尊は三たびくりかえしたまえり。

この時、サーリプッタは座より立ち、衣服をととのえ、世尊に合掌礼拝をなして申し上げたり。

「世尊、世尊はみずからのあやまちを、われらに問いたまえり。されどわれら、いささかも世尊のあやまちを見たてまつることなし。世尊はつねに心ととのわざる者をととのわしめられ、心静かならざるものを静かならしめ、いこわざる者をいこわしめ、覚りを得ざる者を覚りに入らしめたもうなり。

世尊はかつてなき道を知り、道を説き、道に向かい、そののちにわれらを導きて、道にしたがわしめ、道によらしめ、師のみ教えを受けてまことの道を願わしめたもうなり。われらは世尊の身と目と心の三つの行いにつきて、責むるべきあやまちを見たてまつることなし。

世尊、願わくばわれにつきて、世尊に対し、大衆に対し、あやまちあらばさし示したまえ。」

サーリプッタよ、われはおんみの三つの行いにつきて、いささかも責むるべきことを認めざるなり。おんみはよく規律を守り、多く法を聞き、欲少くして足るを知り、遠ざかりを修め、道にはげみて正しき思いにて暮らすなり。

サーリプッタよ、おんみは賢き者なり。すみやかに知恵を悟り、するどき知恵、広大なる知恵、つらぬき通す知恵をなしとげ、衆生を導きてあきることなし。たとえば転輪王の長男が父王の転ずる車輪を正しく転ずるがごとく、おんみはわが転ずる無上の法輪を正しく転ずるなり。」

かくてサーリプッタは、他の五百のビクにつきて世尊に問いたてまつり、世尊はそれぞれをたたえたまえり。さらにかれの問いにより、大衆のうち、六十のビクは三明をえ、六十のビクは六通をえ、六十のビクは両解脱をえ、残りのビクは知恵の解脱をえたることをたたえたまい、(アーナンダもやがて覚りをうるならんと仰せられたり。)

この時、サンガの詩人バンギーザは、世尊の許しを受けて、反省の日の詩をとなえたり。

 「反省の集い十五日清き夜   すべての迷いすてさりて
  五百のビクは集まれり    生死の束縛たちきりて
  ふたたび生を求めざる    けがれをはなれし聖者なり
  転輪王が家臣らと      この大地をばめぐるごと
  死の魔王を滅ぼせる     これら世尊の御子なり
  愛欲の矢をぬき去りし    日種のブッダに帰依なさん」

南伝一二巻三二九頁相応部第八バンギーサ長老相応第七自恣

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