2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧

原始仏教講座 第二講 その二十一

第二講 その二十一三邪見その三つを三つの邪見、三邪見というわけです。神様の意思によって人間の幸不幸が決まっている。あるいは運命によって全て決まっている。あるいは偶然で全て決まっているという三つの誤った考えである。こういう話は日本仏教では全然…

山頭火に寄せて 至情 山頭火

『至情 山頭火』 戒律をきびしく守るでもなく といって戒をことさら破るでもなく そうせざるを得ない心情の旅 種田山頭火は己の弱さの故に 己をいつわりつくろうこともし得ず その至情にうながされて旅を続ける 山頭火の句はすき透った悲しさだ くずおれる一…

先祖供養

『先祖供養』 善きにつけ悪しきにつけ先祖を供養し 先祖との生命のつながりを明確にする事で その人その家族は活き活きとなり好転する 先祖供養は宗教以前の親子の道徳だが 宗教が薄れた曰本では大いに必要だ そこから真の宗教への心も芽生えてくる 先祖供養…

経集 35

35.一切生物に對して三悪行の笞を控へ、彼等の何れをも害することなく、子女を得んと欲せざれ、況んや朋友をや、犀角の如く応に独り遊行すベし。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 三 犀角経 十四頁) 一切の生きものに杖を振るはず、その一つ…

釈尊の聖句 264

264 剃髪すと雖も、戒を破り、妄語を語る者は沙門にあらず。欲望と貪欲とを有する者、いかで沙門たるべきか。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 一九 法住品 五七頁) 出家への近接 髪をそりおとしたとて、規律を破り、いつわりを云うものは、出家…

原始仏教講座 第二講 その二十

第二講 その二十偶然論 もう一つは偶然論です。この世のものは皆偶然である。偶然であるとすれば偶然は何%位あるのかとなります。偶然論の所にたとえ10%でもはまった場合、死ぬかもしれない。それは偶然となる。飛行機でバーっと行ってバーっと死ぬわけ…

「在家信者と先祖供養」 徹底への道

徹底への道この先祖供養の外に、随時、他の人に施、善を行えば、直ちに心が豊かになるものである。信仰を特別にしなくても、幸せな人がいくらでもいる。信仰に熱心なのに病気をしたり、不幸が重なったりするのは、信仰・宗教は徹底の道であって、幸福を目指…

経集 34

34.世尊宣はく、「子ある者は子等によりて愁ひ、牛ある者も牛等によりて愁ふ。実に依(五種欲)は人の愁ひなり。依なき者は愁へざればなり」(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 二 陀尼耶経 十二頁) 子を持つものは子ゆえに悲しむ、と世尊はい…

釈尊の聖句 260

260 頭髪白きの故を以て長老たるにあらず。かれの齢は徒に熟せるのみ。彼は空しく老いたる者と称せらる。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 一九 法住品 五七頁) むなしき老い 髪の白きによりて長老にあらず。年のみ熟したるは、むなしく老いたる…

原始仏教講座 第二講 その十九

第二講 その十九運命論神意論とは神様の意思によって人間の幸不幸、運命が決まってくるのである。というのを神意論というわけです。それは邪見、三つの邪見、邪というのは正がただしい、正の反対が邪です、よこしま、その邪見である。三つの邪見の一つとして…

「在家信者と先祖供養」 法供養

法供養こうして、心の落ちつきが得られたなら、次に法供養をして貰う。法は仏教の場合、お経を読み誦えて貰うのである。お経とは、おシャカさまという仏様が覚りや救われにゆきつくお話をなさったことを、記録したものである。単なる文や音楽的なものではな…

経集 33

33.悪魔波旬曰く、「子ある者は子等によりて喜び、牛ある者は牛等によりて喜ぶ。実に依(五種欲)は人の喜びなり。依なき者は喜ばざればなり」(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 陀尼耶経 十二頁) 子を持つものは子ゆえに喜ぶ、と罪そのものゝ…

釈尊の聖句 259

259 多言の故を以て賢者たるにあらず。平静にして怨憎なく、畏怖なき者は、賢者と称される。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 一九 法住品 五七頁) 多弁の妄 多くを語る声ゆえに、法を保つ者にあらず。聞くこと少くとも、身をもって法を知り、法…

原始仏教講座 第二講 その十八

第二講 その十八神意論お釈迦様は先ずこれを言われたというのは、その当時2500年前はバラモン教だった。今のヒンズー教。神様が天地宇宙を造り人間を造った、こうなっている。そういう信仰でしたから、神様次第である。人間が努力しても神様の気持ち次第…

山頭火の旅

山頭火に寄せて 『山頭火の旅』 しょう恵 悲しみと喜びをおりまぜて 山頭火は 四国路を旅する 日に四里六里とひたすら歩いて 町に入って 数時間の行乞 得たもので木賃宿に一泊 米五六合 ゼニ四五十銭 宿銭に足らぬ時は 野宿 行乞に自信を失ったと嘆じ うすら…

「在家信者と先祖供養」 供養

供養そもそも供養とは、食べものを供えて身を養う。ということである。まず先祖のお位牌を黒ぬりにする、白木は葬式の時などの仮のもの。水児も小さな位牌を別に作るのがよい。現在、ほとんどの若い母親は中絶や流産を経験しているがその供養をしていない為…

釈尊の聖句 257

257 躁急ならず如法・平等に他を導き、正法を護り、賢慮ある者は、法従者と称せらる。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 一九 法住品 五六頁) 法に住む 性急ならず、法により、正しく他の人々を導き、 正法を守る知恵あるものこそ、法に住む人と…

原始仏教講座 第二講 その十七

第二講 その十七次第説これは今までの話からすると、ずっと短いものです。「次第説、善因みのりて善果を得、悪因みのりて悪果を得る、幸いと楽えんとせば三宝信じ施を為して規律をなして真理を学び正導行ずべし」これはアルプピカーターといいまして、アルプ…

「在家信者と先祖供養」 先祖供養

先祖供養善いことをするとは「善とは正しさの入った幸せということである。」からまず人を喜ばせることである。それには、財物、食物、やさしい言葉をかける。身体でしてあげる奉仕など、いろいろあるが、心がこもっていることが大切。それも、もっとも身近…

経集 32

32.従順なる妻と我とは、善逝の許にて梵行を行ぜん。生死の彼岸に達し、苦の辺際を尽さん」(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 陀尼耶経 十二頁) 私の妻も私も忠実にお教へに従ひます、「善く逝ける」あなたの許で清らかな修行をつみ、生と死の…

釈尊の聖句 254

254 虚空に道なく、外道に沙門なし。衆生は虚妄を喜び、如来には虚妄なし。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 一八 垢穢品 五六頁) 真実への道 大空に道なく異教に出家なし。人々は障碍(邪悪)を好み、如来には障碍なし。(田辺聖恵訳) ◎仏教に…

原始仏教講座 第二講 その十六

第二講 その十六この三宝は、ちょっと難しいです。というのはエセンスですから、三つの宝によって成り立つという、全て仏教は帰依三宝、この三宝に帰っていくと、帰依というのはナム、インドでの発音はナーマスというんです。ナーマスというのが日本式に訛っ…

「在家信者と先祖供養」 幸福とそのつかみ方

幸福とそのつかみ方こゝではさしあたり、人間としての最高価値の実現(覚り・救われ)などは、まだ求めないが、幸福であり、多少でも宗教的な安定した生活をしたい、といった程度の生活(浄福)を求める一般信者の道を述べよう。 五幸福−冨と健康、自由と愛…

釈尊の聖句 245

245 慚愧心あり、常に清浄を求め、執著なく、謙遜にして、清浄の生活を営み、識見ある人の生活は困難なり。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 一八 垢穢品 五五頁) 清らかに生きる 恥ずる心あり、つねに清らかさを求め、ものごとに執着せず、謙虚…

経集 31

31.「世尊を見奉れる我等には、実に斟からざる利得ありき。有眼者よ、我等は尊師に帰依す、大牟尼よ、尊師は我等の師となりたまへ。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 陀尼耶経 十一頁) 私どもが世尊にお目にかゝりましたことは、測りしれぬし…

原始仏教講座 第二講 その十五

第二講 その十五三宝、三つの宝、仏様は宝であります。仏様が説かれた真理、ダンマは宝であります。仏様の指導に従って仏様を信仰しながらその真理を学習し、体験し生活化し、それを今度はまた自分の後輩、あるいは信者に正しく導く正導をする、そういう修行…

「在家信者と先祖供養」 幸福の道

「在家信者と先祖供養」 幸福の道では一般の信者は、はたしてそういう道を求めるであろうか。ごく少数の熱心な信者、求道者はその理想の道を歩むであろうが、一般は、やはり幸福を求めるものである。そこで釈尊は、現実の大衆信者と直弟子との指導の方法を分…

釈尊の聖句 244

244 慚愧心なく、厚顔・暴戻・大胆・傲慢にして、罪に汚れたる人の生活は安易なり。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 一八 垢穢品 五五頁) 嫌われもの 恥じることなく、あつかましきカラスのごとく、無遠慮、大胆、ごう慢にして、けがれたる生活…

原始仏教講座 第二講 その十四

第二講 その十四供養、ご飯を差し上げて、どうぞご飯を食べてください、そして修行を続けてください、修行の結果を私たちに導いて下さい、としてご飯を差し上げるわけです。そういう礼賛供養に価する、それだけの値打ちのある、こよなき最上の世間においての…

経集 30

30.低地をも高地をも充しつゝ、俄かに大雨降り来れり、天の雨降るを聞き巳りて、陀尼耶は次の義を逃べたり。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 二 陀尼耶経 十一頁) 平地にも丘にも溢れるほど、みる間に大きな雲が雨を降らせた、神が雨をふら…