「在家信者と先祖供養」 幸福とそのつかみ方

 幸福とそのつかみ方

こゝではさしあたり、人間としての最高価値の実現(覚り・救われ)などは、まだ求めないが、幸福であり、多少でも宗教的な安定した生活をしたい、といった程度の生活(浄福)を求める一般信者の道を述べよう。

 五幸福−冨と健康、自由と愛情、そして理想

幸福をつゞめて云うと、右の五つの内容と云えよう。経済的にある程度は安定していることがまず第一。それに心と身体が健康であることも誰しも求めるものである。自由とは日常生活に於いて、あまり束縛されないということであり、愛情とは、人間関係がうまくいってまるで孤独になってしまうのではないということ。これらが、一般的な幸福であり、さらに、宗教的な道を学び、あるいは信じ、いくらかでも身につければそれが理想への道である。

ではどうしたら、それらの幸福・浄福が得られるか。釈尊はそこで、仏教に近づく者に、必らず次第説を説かれる。

善因みのりて、善果を得、悪因みのりて悪果を得。

これが業報論と云われるもので、業=行いによって報いがあるという説。善い因をまけばよい報いがあるということ。これは誰でもそうだナと思う事実である。

ところが、時には期待したような結果が出ないと、この世の中には神の意志で動くのだから、どうにもならないと思ったり、運命で定まっているから仕方がないと思ったり、偶然があるから分らないとしてしまう(この三つを三邪見)ことが多い。そのようなあやまった考にひきこまれると、こうしたいという希望を持たなくなり、したがって努力をしないので、よい結果は出てこない。まずどのような幸せ、という具体的な中味のある希望→そうなれば目的であるが、その目的をはっきり持つこと。そして、その目的に向って努力するのであるが、一方で善因をまくことが大切。

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