原始仏教講座 第二講 その十五

第二講 その十五

三宝、三つの宝、仏様は宝であります。仏様が説かれた真理、ダンマは宝であります。仏様の指導に従って仏様を信仰しながらその真理を学習し、体験し生活化し、それを今度はまた自分の後輩、あるいは信者に正しく導く正導をする、そういう修行者、その集団をサンガという、坊さん修行者の集団、これが宝であります。それで三宝です。お釈迦様の仏教はこの三宝によって成り立っている訳です。

ところが日本ではダンマの話がよく分からない。ダンマが抜けてしまうんです。南妙法蓮華経、これに一切がこもっている、という話になりますから、南妙法蓮華経、ご本尊である、一切がこもっている。といわれたのでは真理というものが分からない。
そういう風に日本では三法を一つにこめてしまいます。真宗的に言えば、仏様、阿弥陀様すべてがこもっているとする。禅宗的に言えば座禅をする、それに全てがこもっているとすると、サンガ、修行する人が本位になりますでしょう。一つに三宝がこもっているとするわけです。所がそれはそういう学習をして、そして絞ってあれば分かりますけど、学習の段階で説明が抜けると、座禅が仏教である、南無阿弥陀仏本願を信じるそれが仏教である、やれ即身成仏これが仏教である、とこういう風に絞られると三宝が分からない、一般の人は非常に分かりにくい、なにやら有難いけど、分かりにくいという信仰をやらざるを得なくなる。現在は段々一般の信者さんは仏教から離れてきているという現実になってきているわけです。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ 人気ブログランキングへ