「在家信者と先祖供養」 法供養

法供養

こうして、心の落ちつきが得られたなら、次に法供養をして貰う。

法は仏教の場合、お経を読み誦えて貰うのである。お経とは、おシャカさまという仏様が覚りや救われにゆきつくお話をなさったことを、記録したものである。単なる文や音楽的なものではない。従って分らねば意昧をなさない。お経は、日本人は日本語で読んで貰わねばならぬが、僧職は漢文のまゝ暗記を唱えられることが多いので、単なる形式になってしまいやすい。その場合、仕方がないから別座で一口でも法話解説をして貰わねばならない。次に、その聞いたお経の内容を心に留め、心を統一して、その内容を自分の心の奥底のある先祖の心へと通じさせる。これがいわば先祖を拝むということである。通じさせねば、単なる自分の気安めか、形だけの体裁にしかならない。 

これは決して難しいことではない。特別の修行などをしなくても、ま心さえあれば、自分の心の中にある先祖の心(霊といってもよい、記憶と考えてもよい)だから通じるものである、これをつみ重ねると、先祖の心が法・教えを納得して、法の世界へと進んでゆく。つまり自分の心の奥にある先祖の心が離れてゆくので、自分の心だけになる。これで自已分裂や、先祖へ対する悩みが解決する。自分の深層意識が浄化というか転換されてくる。こうして心が落ちついてくると、自分が立てた目的に対して、全力をそそげるようになる。こうして幸福を獲得できる。

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