「在家信者と先祖供養」 徹底への道

徹底への道

この先祖供養の外に、随時、他の人に施、善を行えば、直ちに心が豊かになるものである。

信仰を特別にしなくても、幸せな人がいくらでもいる。信仰に熱心なのに病気をしたり、不幸が重なったりするのは、信仰・宗教は徹底の道であって、幸福を目指すものではないからである。

幸福になりたいなら、施善と目的を立てての努力をすべきである。

幸福よりも徹底の道を求めるというなら、その方が価値がある。

しかし、家庭にあって金銭や病気など超越してゆこうとすると、家族は随分と迷惑をすることが多いのも、家庭に居る以上考えねば、身勝手となりかねない。家庭に居る以上、家庭の幸せを家族と協力して作る努力、責任をはたしながら徹底への道を進ませねばならないであろう。

こうして、幸福への道、施善、先祖供養を行いつつ、本格的な仏教への習道と進むならば、それが真の仏教者の道と云えるであろう。

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