2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧

「在家信者と先祖供養」 徹底の道

「在家信者と先祖供養」 徹底の道仏教はなぜ需教の立場から非難されたのか。又は、仏教と儒教とを両方、学ばねばならないと、日本ではなされてきたのか。それは日本仏教は、大乗仏教と称して、徹底の道、いやそれ以上の道を仏教としてきたからである。空にな…

経集 29

29.世尊宣はく、牛王の如く諸結(五上分結)を断ち、象の如く臭蔓草(五下分結)を摧破して、我は再び母胎に宿ることなかるべし。故に若し天よ、汝望まば雨を降らせよ。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 二 陀尼耶経 十一頁) 牡牛のように束…

釈尊の聖句 241

241 読誦せざるは垢穢、吝嗇は施與者の垢穢、修復せざるは家屋の垢穢、懈怠は美の垢穢、放逸は番士の垢穢なり。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 一八 垢穢品 五四頁) 読みとなえざるは聖典のけがれ、勤勉ならざるは家庭のけがれ、(化粧の手入…

原始仏教講座 第二講 その十三

第二講 その十三四組八人というのは、悟った人、これが応供、完全に悟った人、それから悟りの一歩手前の人、二歩手前の人,三歩手前の人、専門語で言いますと不還、この世にもう帰ってこない人、悟りの世界に行ってもうこの世に帰ってこない人、悟りの世界に…

釈尊の聖句 236

236 汝自ら自己の依所を造れ、速に精勤せよ、賢者たれ。心の垢穢を払い、罪過なくば、汝は天の聖地に至らん。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 一八 垢穢品 五三頁) より所ありや おんみみずから已のより所を作れ。すみやかに努力せよ。賢き者と…

経集 28

28.牧牛者陀尼耶曰く、不動堅固なる杙は掘り建てられ、文邪草製の新しき繩は善く綯はれ、乳牛等もそを断つ能はざるべし、故に若し天よ、汝望まば雨を降らせよ。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 二 陀尼耶経 十頁) 杭は深く揺るがぬように打…

原始仏教講座 第二講 その十二

第二講 その十二サンガ、世尊の弟子の和合衆、仲良くしていく、ただ仲良くするじゃないんです。修行をする人々の集まり、よく正直に修行なし、正直にというのは、お釈迦様の教えられた通りを正直にやる訳です。お釈迦様の話はそうだけど、今時代は違うから、…

釈尊の聖句 228

228 たゞ誹らるゝのみの人、又はたゞ褒めらるゝのみの人は、過去にもなかりき、将来にもなかるべし、現在にも亦なし。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 十七 忿怒品 52頁) そしりと讃え ひたすらにそしらるゝ人も、ひたすらに讃えらるる人もな…

経集 27

27.世尊宣はく、犢牛なく、乳牛あるなし、孕牛(福非福生の行の思)も處女牛(欲愛)もなく、牛主なる牡牛(行・識)も茲にあるなし、故に若し天よ、汝望まば雨を降らせよ。 (南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 二 陀尼耶蛇経 十頁) 小牛も、父…

原始仏教講座 第二講 その十一

第二講 その十一お釈迦様は此れを尊敬しなさい、此れを学習しなさい、これを体験しなさい、これを人々に教え導きなさい、とされたわけです。ですからお釈迦様の仏教というのは真理を中心にするものです。ところが日本式になると仏様中心になって、真理中心で…

おりじなる童話 おかあさんのて

吉永光治のおりじなる童話 おかあさんのて 「おかあさん てを みせて」 ともこが だいどころに くると せなかに とびついて いいました。 「いそがしいから あ・と・で」 「ちょっとだけ」 「はいはい」 おかあさんは ぬれた てを エプロンで さっと ふくと …

釈尊の聖句 219

219 久しく異郷にあり、遠隔の地より無事に戻れる帰来者を、親族・朋友・知己は歓び迎ふ。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 十六 愛好品 51頁) 帰郷 久しく不在にして遠方より無事に帰れる人を、親族と友人と知人は喜び迎ゆ。(田辺聖恵訳) ◎…

経集 26

26.牧牛者陀尼耶曰く、犢牛あり、乳牛あり、孕める牛あり処女牛もあり、また牛主なる牡牛もあり、故に若し天よ、汝望まば雨を降らせよ。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 二 陀尼耶蛇経 十頁) 小牛も、乳を飲んでいる小牛もいる、と牛飼いダ…

原始仏教講座 第二講 その十

第二講 その十来たりて見よといわれたる。エイフィーパシーカーという。エイフィーは来て、パシーカーは見よ、来て見よ。百聞は一見に如かずということです。来て見る、目でみるというのが一番分かりやすい様に、いわく言い難し、先々は分からないというよう…

静思湧言

あまりにも恵まれていること、そこから何を産み出すかだ。 文化の根底に宗教が必要だし、文化の頂点に宗教が築かれねばならぬ。 五十才を過ぎたら何を伝えるかだ。 罪深さを知らされるほどに、罪が深まる。 一寸の虫にも五分の魂とは、それなりに人生目標を…

おりじなる童話 かきのみ 一つ

吉永光治のおりじなる童話 かきのみ 一つ あさ ともこが ごはんを たべていたら 「にわの かきのき きって しまうか」 おとうさんが しんぶんを よみながら いった。 「そうね…もう かきは ならないかも しれないわ」 おかあさんは おちゃわんを あらいなが…

経集 25

25.世尊宣はく、我は何人の傭人にても非ず、自ら得たる一切知智もて一切世間を遊行す、他に傭はるゝの要あることなし、故に若し天よ、汝望まば雨を降らせよ。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 二 陀尼耶経 九頁) 私は誰にも使われてはいない…

釈尊の聖句 194

194 諸佛の現るヽは快く、正法を説くは快し。僧衆の和合するは快く、和合せる人々の修行は快し。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 一四 佛陀品 四六頁) 楽しきかな 諸仏のあらわれたもうは楽しきかな、正しき法を聞くは楽しきかな、サンガの和合…

原始仏教講座 第二講 その九

第二講 その九正見にして仮ならず、正見とは正しい見解であるということです。見は見るということで、正しい理性、正しい見解、納得がいくということです。それは自己流のものではない、公平なものである。仮ならずというのは、一時的なものではない、ある時…

おりじなる童話 つるになった おかあさん

吉永光治のおりじなる童話 つるになった おかあさん あるむらに おひさという おんなのこが いました おひさは いつも ひとりぼっちです。 それは おひさが ちいさいとき おかあさんも おとうさんも しんでしまったからです。 おひさに おかあさんが のこし…

経集 24

24.牧牛者陀尼耶曰く、己が稼げる賃金もて我は暮す、我が子女も共々に息災なり、彼等に何等の悪行あるを聞かず、故に若し天よ、汝望まば雨を降らせよ。 (南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 二 陀尼耶経 九頁) 私は自分で働いて暮らしをたてゝい…

釈尊の聖句 190

190 佛と法と僧とに帰依する者は、正智によりて四種の聖諦を見る。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 一四 佛陀品 四六頁) 三宝帰依 ブッダとダンマとサンガに帰依なすものは、正しき知恵にて四聖諦を見る。(田辺聖恵訳) ◎信・帰依の心がなけれ…

原始仏教講座 第二講 その八

第二講 その八現代的に言えば一種の進化論に近い。ダーウインの進化論に近い。だから現代人はすぐ分かるはずなんです。所が日本仏教ではこれが説かれていない。だから仏教の進化論的なよさ、科学的認識ということが出来ないですね。まことに残念なこと。お釈…

おりじなる童話 おならがわらった

吉永光治のおりじなる童話 おならがわらった 「ブブーッ」 ぼくが へやで けんちゃんと かずちゃんと ほんを よんで いたら おならが なった。 「ぼくじゃないよ」 けんちゃんが すぐ いった。 「ぼくと ちがうよ」 かずちゃんが ぼくのかおを みながら いっ…

経集 23

23.世尊宣はく、我が心は従順にして解脱し居れり、久しく遍修し善く調御せられたり、而して我に一の悪行あることなし、故に若し天よ、汝望まば雨を降らせよ。 (南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 二 陀尼耶経 九頁) 私の「心」は、忠実で解放さ…

釈尊の聖句 183

183 一切の悪を作さず、善を行ひ、自己の心を浄ぬ。これ諸仏の教なり。 (南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 一四 佛陀品 四五頁) 仏の教え すべての悪をなさず、善を行い、おのれの心をあまねく清むる、これ諸仏の教えなり。(田辺聖恵訳) ◎行動…

父 杉田正臣著

(九十一) 父は 八十五歳の時日向俳壇史を著わした 父は 多年の願望を成就してほっとした 父は それからほんとの老人となった 父は 交通事故を恐れる家族のために 日課の散歩は独行動をやめた 父のお伴をして私も朝早く散歩に出た 父と散歩しながら祖父の人…

父 杉田正臣著

(八十一) 父は いつも時間を厳守した 父の時計は 一分の遅速もない当時最良のものであった 父は 自分の時間以上に他人の時間を尊重した 父は わがために寸陰を惜しんだが 他人のため には自分の時間を忘れた 父の遺愛の懐中時計は 私の机の上で休みなく 時…

父 杉田正臣著

(七十一) 父はいつも神の前に独りを慎んだ 父はいつも天地神明に誓って言動した 父はいつも在すが如く 祖先の祭を怠らなかった 父は朝に一日の計をなし 夕に一日の反省を日誌した 父は元旦に一年の計をなし 歳晩に一年の回顧を摘録した 父は百を一生とし …

父 杉田正臣著

(六十一) 父は論よりも証拠を重んじた 父は実践を主とし読書を従とした 父は口を以て教えるよりも身を以て示した 父は陽徳よりも陰徳を重んじた 父は医者の不養生を恥とした 父は受けた恩は終生忘れず 施して報いを求めることは決してなかった 父は散る花…