「在家信者と先祖供養」 供養

供養

そもそも供養とは、食べものを供えて身を養う。ということである。まず先祖のお位牌を黒ぬりにする、白木は葬式の時などの仮のもの。水児も小さな位牌を別に作るのがよい。現在、ほとんどの若い母親は中絶や流産を経験しているがその供養をしていない為に、内心苦しんでいる人が多い。新興宗教に飛びこんだりする人は、こうした先祖供養の方法を僧職からはっきり指導されて居らず仏教教理はなおさら知らないために、心の苦悩が増大してどうにもおさまらない人が多い。

食べ物を自分が供える。これが供養。お経を読んで貰うのは法供養で次の段階である。まず毎日、自分が供養することが大切。生きている人に仕えるようにすればよい。しかし、先祖は口がないから食べ物が残っている。そこで、それを人にさしあげ、施して食べて貰う。するとその人は感謝する。これが心の力に変ることである。

この力になったもの(功徳の力)を先祖にふり向けるのが回向である。すると先祖は心の力を受けて安心してくる。よく「お下がり」といって自分たちが食べてしまうが、それは間違い。神仏にささげたものをその神仏の力が加ったものとして、おすそわけに頂くのはよいが、先祖にあげたものは、お下がりないのが本当。そこで人にあげられない時は、小鳥や犬、あるいは川の魚にたべさせるのがよい。この方式は、信仰と一応別である。親孝行、道徳法、つまり幸せになる法である。

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