原始仏教講座 第二講 その二十

第二講 その二十

偶然論
もう一つは偶然論です。この世のものは皆偶然である。偶然であるとすれば偶然は何%位あるのかとなります。偶然論の所にたとえ10%でもはまった場合、死ぬかもしれない。それは偶然となる。飛行機でバーっと行ってバーっと死ぬわけです。あれ偶然かというわけです。偶然であれば飛行機会社責任負わなくていいわけでしょう。偶然の場合責任取らないといけませんか?例えば自動車運転していて、ぶつかって相手が死んだと、家族から損害賠償となった時、偶然だと、責任ないと、もし偶然ということが成り立てば責任ないわけでしょう。そうなると危なくてしょうがないとなる。偶然というのはないと言うんです。お釈迦様は偶然というのは間違いだと、全部必然である。

私達が偶然のように見えるのは、自分を中心にした場合、真っ直ぐ歩いていっているのに後ろからぶつかってこられた、私の責任ではない。それを偶然だと、私にとっては偶然である。たまたまぶち当てられたのだ。ということになりますが、私がそこを歩いていたのは私のせいなんです、後ろから来た人は後ろから来た人の必然なんです。ふらふらーっと考えもしないでここへ来てぶち当てたということはないわけだから。後ろから来た人も目的を持って自分の意思で車運転して来ている。歩いている人も自分の目的意識をもってふらふらーっと歩いてる。皆必然なんです。だから偶然というのはないということなんです。

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