原始仏教講座 第二講 その四

第二講 その四

日本のお寺ではほとんどのお寺が托鉢はしていない。時々京都の禅宗のお寺が托鉢に出るというのがテレビでありますが、毎日ではない、ある期間だけです。他の宗派ではあまり托鉢はない。何故かというと、日本のお寺は権力者が建てている、大体は。権力者がお寺建てて、そして坊さん置いて費用は皆賄う。だから坊さんは托鉢によって信者さんのご飯を差し上げるそういう施してによって成り立っているのではなかった。だから托鉢しなくていい。

寺田という名前の人ちょいちょいありますね、お寺に田圃が付いていた。お寺に田圃が付いているということは、徳川幕府がある地域に、ぽっとここはお寺造るぞと、お寺建てる。幕府がです。その周りにお寺に付属した田圃を付けるわけです。そうすると回りにいる、自分の畑、土地をを持たない人は、お寺の田圃に小作人に行く訳です。そして小作をして小作料としてお米をお寺に納める。土地はお寺のもの、小作料を納める。お寺は小作料としての米を積み上げるわけです。

昔のお寺に行くと、お寺の庫裏、坊さんの住まいの方の所、広い土間になっている。何でそんな広い土間があるかと。小作料、米俵をそこに積み上げる。かなり広い。もう地主さんクラスです。まさに地主さん以上です。だから坊さんは小作料でお寺の維持、自分の家族を賄える。托鉢行く必要ない。だから托鉢なくなった、結局権力者に雇われていたということです。パトロン付きということなんです。

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