原始仏教講座 第二講 その一

原始仏教講座(全六講)

第二講 その一

『ブッダとは如来・応供(オウグ)・正等覚者(ショウトウガクシャ)・明行足(ミョウギョウソク)・善逝(ゼンゼイ)・世間解(セケンゲ)・無上士(ムジョウジ)・調御丈夫(ショウギョジョウブ)・天人師(テンニンシ)・ブッダ世尊にて、こよなき世間の帰依所なり。』

ブッダは如来、応供、正等覚者。如来とは真理から来た方、応供とは供養に応ずる資格のある方、ご飯を頂く方ということなんです。日本の仏様のように、仏様に仏飯をあげるわけです。しかしご飯は仏像だから食べない、それどうしますか、残っているのをどうするか。家族が食べる、そしたら家族が食べた、仏様は食べていない、仏様が食べたなら無くなっている訳でしょう。お下がり頂きます、お下がりがあるということは、相手が食べなかったからお下がりがあるわけでしょう。そこで供養の意味が間違ってくるんです。供養というは、こちらが生きている人に差し上げた場合には、その人が食べるから残らない。したがってお下がりはない。家族が食べてはいけない。家族が食べればそれは家族が食べたんです。仏様に見せただけなんです。もし供養ということを、仏像にあげる事を当り前としていると、そういうことが分からない。

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