2010-01-01から1ヶ月間の記事一覧

三宝169号 真の幸福を未だ知らず その二

「法の施しは一切の施しにまさる。法の味は一切の味に まさる。法の楽しみは一切の楽しみにまさる。愛欲の たち切りは一切の苦しみにまさる。」 (法句経) 外国旅行の経験などまるで無い私は、テレビで外国風景を見ても通一辺にしか感じない。経験による喜…

互恵者

『互恵者』 一本の木が スックと立っている いかにも孤立している様であるが 雨風日の光りの恵みを受けている 一本の木はただ黙々と立っている だが花実をつける事で風景となり 時には人を喜ばせ 自ら充実する 自己に目覚める 人間らしくなる それは活き活き…

三宝法典 第二部 第三項 如来への考察

如来への考察 時に世尊、サーバッティーの祇園精舎にとどまりたまえり。世尊、もろもろのビクらに呼びかけられて説きたまえり。 「ビクらよ、他人の心の習性を知る考察をなすビクは、如来がまことに正等覚者なりや否やを知るぺく考察すぺきなり。」 「世尊、…

自分と人生

『自分と人生』 仕事に退職はあっても人生にはない 自分の人生から片時も離れる事はない 自分と人生はいわば二人三脚なのだ 人生が思わぬ方向に行くこともある 人生でのハイライトだって誰にもある 人生を通して考えねばならぬ時もある 自分を一体何者かと煎…

三宝169号 真の幸福を未だ知らず その一

三宝169号 三宝聖典 第二部 第十項 むさぼりの苦 時に世尊、カピラ城外のニダローダ林にとどまりたまえり。シヤカ族の王マハーナーマは、世尊のみもとにまいり申し上げたり。 「世尊、われは世尊の『むさぼりと怒りと愚痴は心のけがれなり』とのみ教えを…

三宝法典 第二部 第二項 蛇の喩え

蛇の喩え 世尊、サーバッテイーの祇園精舎にとどまりたもう時、もと鷹飼いなりしアリッタ・ビクはかくのごとき悪しき考えを起こせり。 「世尊がさわりの法と説きたもうことも、行うてさほどのさわりとならず。」と。 多くのビクら、これをさとしたれど効なく…

三宝 第65号  『仕事の本質』 宗教と仕事の一致

[宗教と仕事の一致] 仕事にしても、生きる目的にしても、今や選択を迫られているのである。有意義なしかも喜びに満ちた人生を送るか、みじめな老人として一生を嘆くか、それは決して先にのばしてよい問題ではない。今すぐに考えねばならぬことである。 仕…

飛翔

『飛翔』 翼を広げて おお鳥は飛んで行く 時には羽ばたき 時には風に乗り 頭はキリッと真っすぐ先に向けて 小さな鳥はおお鳥の志を知らんやと 昔 かく言いかつ行動した人がいた 志は まさに人を飛翔させるものだ たとえどの様に挫折した者であろうと その人…

三宝法典 第ニ部 第一項 最終目的

最終目的 時にピンガラコッチャ・バラモンは、祇園精舎にとどまりたもう世尊のみもとにまいりて申し上げたり。 「世尊、今日、六人の名高き師が人々に尊ばれ、多くの弟子サンガと聖典を持てり。これらの師はみずから言えるがごとく、まことに大智をもてるも…

三宝 第65号  『仕事の本質』 専門化と総合化

「専門化と総合化」 本の社会全般を見渡すことができないにしても、家庭の内外を見れば、ずい分と社会が高度化しているのが分る。電気製品の数々、文化住宅、飛行機、ヨットで遊ぼうというところまできている。これは農業国から工業国へと変ってきた現れであ…

知って生かす

『知って生かす』 依存型はかなり性格的なものだ それは従順誠実勤勉などの美点 己を知る者はそれを生かすだろう 独立型はやはり性格的なものだ それは開拓創意工夫などに熱心 己を知って生かすのが賢明だろう 折衷型の者も多分に存在する それは臨機応変選…

三宝法典 第一部 第81項 真実法

真実法 時に世尊、コーサラ国に正導の旅をなしたまい、あまたのビク衆をともないて、サーラーなるバラモン村に至りたまえり。 バラモン村の人々は、ブッダ世尊にして、善き法を説きたもう応供者を見たてまつる幸いを得んとして、世尊のみもとに参れり。この…

三宝 第65号  『仕事の本質』 仕事は手段か目的か

[仕事は手段か目的か] 別でもあり、一つでもある。私は仕事をするのが楽しみであり、生き甲斐だ、収入は第二であるという人もいる。その人は仕事そのものに喜びを見出し、仕事を目的としている数少ない、恵まれた人である。しかし大部分の人は、仕事によっ…

信・行・果

『信・行・果』 自分は自分であると自信する 大切な存在であると自信する そこからが生き方の取り組み 人間は行動体であると行動する 行動なくして幸福はあり得ない ましてや充実などはあり得ない 生きる事は結果の積み重ねである 結果は自信と行動によって…

三宝法典 第一部 第80項 相互の助け

相互の助け 「ビクらよ、バラモンおよび在家者は、おんみらの大いなる援助者なり。そはおんみらに衣食住薬を供養なすなればなり。 ビクらよ、おんみらもまた、バラモンおよび在家者への大いなる援助者なり。何ゆえなれば初めも善く、中も善く、終わりも善き…

三宝 第65号  『仕事の本質』 才能

[才能] 心の貧しさとは、はたしてこんな生き方でよいだろうか、人間とは何だろうかと、求め続けることである。ところが今日のように、物が豊かとなり、若年の労働力がどこでもチヤホヤされるようになると、心の糧を求めるどころか、真剣に働くという考えも…

一番の大切

『一番の大切』 自分にとって一番の大切は何か 健康もお金も他の評価も大切だが すべて自分自身が在っての事だ 自分を大切にするとはどんな事か 先ずは自分自身に興味を持つ事だ 先ずは自己発見の旅に出る事だ 昔から汝自身を知れと言われる 張り切ったり 落…

三宝法典 第一部 第79項 磨かれたる鏡

磨かれたる鏡 時に尊者モッガラーナは、バッガ国のベナレスにとどまり、あまたのビクらに法を説けり。 「友よ、もし一ビクありて『尊者よ、われを教えよ、われは尊者に従わん』と請うも、かれが教えがたき心を持ち、怒り易く、教えを受けいれざる者なれば同…

三宝 第65号  『仕事の本質』 自己認識

「自己認識」昔は、己を知らぬがゆえにこつこつと十年も二十年も同じ道を歩いた。今は己を早く知りすぎるために、一つのことを長く続けられない。 己を知るというが、己の本質や値打ちを知るのではなく、自分が何をしたいとか、何にむいているとか、どんなこ…

人間本質

『人間本質』 もの事を抽象化して考える ここに人間知能の本質がある それはコトバ化でもあるのだ 生かされの事実を考える そこから生き方を引き出す それは人間本質の生き方だ 幸福と聖を比較して考える そこから自分の所在が見える このままで良いかと問わ…

三宝法典 第一部 第78項 罪の告白

罪の告白 時に世尊、コーサラ人の間をめぐりてパンカダー村にとどまりたまえり。その間に世尊は、道を修むる規律と用意とにつきて事こまかく教えはげまし、喜ばしめたまえり。この村に生まれて出家せしカッサパは、これを聞きて喜ばず、『このシャモンはつね…

横井小楠先生を偲びて   五 開国論と世界平和論  その六

話少しく変って先生は大の亜米利加贔屓であって、特に二甥を米国に遊学せしめたのである。それにはいろいろ理由もあろうが、その国状が気に入ったからであろう。特に日本の国体をそうしようとまでは考えなかったけれども、共和政治の価値をたしかに認めたこ…

三宝 第65号  『仕事の本質』 休息が願いか

「休息が願いか」 左ウチワで暮らせるのが人間の本当の願いでしょうか。今は定年をすぎても第二の就職をしないと、生活が不安定だという。すると生活が出来れば、働きたくないということだろうか。 子供がよく仕送りでもすると、あなたの子供は本当によい子…

疑問

『疑問』 これと言った才能も無い自分が 一体何のために生きているのか この疑問に到達するのは何才か 仕事を生き甲斐に家族を持ち なにがしかの趣味を語り合い 幸せに満ち足りて墓石に入る 幸福と不幸をより合わせる一生 その様な自分を客観視し始める そこ…

三宝法典 第一部 第77項 三 毒

三 毒 時にチャンナ修行者はアーナンダの所に来たりて問答せり。 「尊者よ、むさばりと怒りと愚痴を捨てよとは、われらも教ゆるものなり。されどおんみらは、この三毒の上にいかなるわざわいを見て、これらを捨てよと言わるるや。」 「チャンナよ、むさぼり…

横井小楠先生を偲びて   五 開国論と世界平和論  その五

前に述べた如く福井藩主松平春嶽は安政四年先生を賓師として招聘せんとして家臣村田氏壽を沼山津なる先生の閑居に遣わしてその内意を傅えしめた時、村田は数日間滞在して先生の講義を聞いたが、その時の手記の中に「横井氏説話」として先生の話が記述してあ…

三宝 第65号  『仕事の本質』 働くとは生きること

三宝 第65号 1971年10月8日刊 『仕事の本質』 田辺聖恵 [働くとは生きること] 心と身体の働きをもって動いているもの、つまり生きているのが人である。働くとは人が動くという字。ハタラクとは端の人が楽になるように仕事をすること、他への奉仕…

三宝法典 第一部 第76項 反省会

反省会 時に世尊、祇園精舎にて安居をなしたまい、安居の終わりにならわしとして、ビクらは世尊を見たてまつらんと、そのみもとに集まれり。世尊はかねてのごとく、ビクらにたずねたまえり。 「ビクらよ、おんみらよく忍び、またすこやかなりしや。安居の間…

真理実行

『真理実行』 相関互恵は人間にとって真理である どの様な人でも関わりの中で生きる どの様な人でも互いに役立って生きる 幸せを望むなら他に施し奉仕する事だ 存在価値を望むなら施し奉仕する事だ その事の実行には必然の結果が生じる 自分が求めるものを他…

横井小楠先生を偲びて   五 開国論と世界平和論  その四

先生は慶応三年二甥左平太・大平を米国に遊学せしめたが、その時の送別語中に。 堯舜孔子の道を明らかにし、西洋器械の術を尽くす、何ぞ富国に止らん、 何ぞ強兵に止らん、大義を四海に布かんのみ。 とある。茲で堯舜孔子の道と云うのは、東洋古来の倫理道徳…