三宝法典 第二部 第三項 如来への考察

 如来への考察

時に世尊、サーバッティー祇園精舎にとどまりたまえり。世尊、もろもろのビクらに呼びかけられて説きたまえり。
 
「ビクらよ、他人の心の習性を知る考察をなすビクは、如来がまことに正等覚者なりや否やを知るぺく考察すぺきなり。」
  
「世尊、われらは世尊を法の根源とし、世尊を導師とし、世尊を帰依所となせり。世尊、願わくばその意義を説き明かしたまえ。世尊より聞きてわれらは信受せん。」
  
「ビクらよ、心して聞くべし。如来に関してよく考察すべきなり。如来は眼と耳とにおいてけがれありや否や。かくてけがれなく清浄なりと知る。

またある尊者に対し、この尊者は、かかる善き法に達してすでに久しや否やと、かくてすでに久しと知る。
 
またある長老ビクに対し、この長老ビクは有名にして誉れあり、かれに危うきことなきや否やと。ビクらよ、有名にならず、誉れを得ざる間は、そのビクに危うきことなし。されど有名になり誉れを得れば危うきことあり。かくて危うきことなしと知る。またこの尊者は恐るることなくして、心静まりたるや否や、むさぼりをはなれて愛欲にとらわれざるや否やと、かくて心静まりてとらわれなしと知る。
 
ビクらよ、他のビクがいかなる理由により、いかなる因縁によりてかくなりしやと問いたれば、かくのごとく答うべし。『実にこの尊者は、大衆の中にあるも、一人住むも、幸福なる者も、不幸なる者も、教え導く者も、物欲に従う者も、物欲にけがされざる者も、すべて拒否することなし。面前にて、世尊より恐るることなく、心静まり、むさぼりをはなれて愛欲にとらわれざるべしと聞き、これを信受なすがゆえなり。』と。

 如来は眼と耳とにおいてけがれなく、清浄なりやと問われたる時、如来は答えん。『しかり。かくのごとき道をわが行となす。このゆえに凡夫とは異なるなり。』と。かくのごとく説く師なれば、弟子はまいりて聞法をなし得るなり。

師はかれらに妙なる無上の法を説く。弟子はその法を知りて、法をきわめ、師に対する浄信を得るなり。『世尊は正等覚者なり。世尊によりて法はよく説かれたり。そのサンガはよく従いゆけり。』と。
 
ビクらよ、いかなる者も、かくのごとき理由をもって、如来に対し、信を確立し、安らかに住す。これ堅固なる信と言わるるなり。こはシャモンによりても、バラモンによりても天によりても魔によりても、世のいかなる者によりても滅せらるることなし。ビクらよ、如来はかくのごとく考察せられてあるなり。」と。
 
ビクらはこのみ教えを歓喜して、信受せり。

南伝一〇巻四九頁中部経四七思察経