三宝法典 第二部 第二項 蛇の喩え

 蛇の喩え

世尊、サーバッテイーの祇園精舎にとどまりたもう時、もと鷹飼いなりしアリッタ・ビクはかくのごとき悪しき考えを起こせり。
  
「世尊がさわりの法と説きたもうことも、行うてさほどのさわりとならず。」と。
 
多くのビクら、これをさとしたれど効なく、世尊はこれを聞かれて、アリッタ・ビクを呼びたまい、これをただして叱りたまえり。
  
「愚かなる者よ、何ゆえに、われかくのごとく説けりと知るや。愚かなる者よ、われは種々の教えにてさわりの法を説けり。むさぼりは楽少なく、苦多く、悩みも多く、大いなるわずらいありと説けり。しかるにおんみはみずからの誤れる解釈によりて、かえってわれをそしり、みずからを破壊し、多くの罪業を作れり。そは実におんみの永き不利益、不幸とならん。
 
ビクらよ、おんみら悪しき考えにて、むさぼりの思いをなすなかれ。愚かなる者は法を受けて、知恵にてその意義をきわめず、歓喜を得ず。ただ議論の快感のために、冗舌の快感のために法を学ぶなり。法を学ぶ真の目的に合することをなさざるか、法を真に理解せざるがゆえに、永き不利益、不幸となるなり。

たとえば蛇取りが、大蛇を見つけて胴か尾をつかまえるとす。かの蛇は体を曲げて、その人の手なり腕なりをかむならん。そのためにその人は死ぬるか、死ぬるほどの苦を受く。そはかれが蛇を真に理解せざるがゆえなり。
 
ビクらよ、ここに良家の子らは法を受け、よく理解をなせば、そは永き利益、幸福となるなり。たとえば蛇取りが、大蛇を見つけて二またの杖にてよく押さえ、首をつかまえるとす。かの蛇はその人の手なり腕なりに巻きつくとも、死ぬるぱどの苦を受くることなし。そはかれが蛇を真に理解せるがゆえなり。
 
われによりて説かれたる法の意義を理解し、そのままにこれを受け、もし明らかならざれば、これをわれに問うべし。」と。

南伝九巻二三七頁中部二二蛇喩経