三宝法典 第一部 第79項 磨かれたる鏡

磨かれたる鏡

時に尊者モッガラーナは、バッガ国のベナレスにとどまり、あまたのビクらに法を説けり。 

「友よ、もし一ビクありて『尊者よ、われを教えよ、われは尊者に従わん』と請うも、かれが教えがたき心を持ち、怒り易く、教えを受けいれざる者なれば同行者はかれを教え導く者と考えず、この人を信じ得ず。
 
教えがたき心を持つとはいかに。むさぼりに支配せらるる者なり。みずからをほめ、他をそしる者なり。またはげしき怒りに支配せらるる者なり。また怒りによりてうらみをいだく者なり。また怒りによりて執着をもち、怒りの言葉をはく者なり。
 
また、責め、ただし、教ゆる者に対し、非難し、反ばくし、話をそらし、怒りと不満を現す者なり。またみずからの悪をかくし、他を悩まし、ねたみ、おしみ、たぶらかす者なり。また頑固にしてごう慢なる者なり。また世俗の事を喜び、おのれの見解にとらわれ、これを捨て得ざる者なり。
 
教え易き心を持つとはいかに。むさぼりに支配されず、ないしおのれの見解にとらわれざる者なり。          
 
友よ、ビクはみずからかくのごとく思いはかるべきなり。『悪欲などの悪しき心に支配せらるる人を、われは愛さず喜ばざるがごとく、われも悪欲などの悪しき心に支配せられなば、人に愛されず喜ばれざるべし』と。このゆえに悪欲に支配せられざるがごとく心を起すべし。
 
みずからかえりみて、悪欲などの悪しき心あらば、これらを捨てんがために努力をなすべきなり。みずからをかえりみて、悪欲などの悪しき心なくば、これらの喜びを増すために昼夜、学習すべきなり。
 
友よ、あたかも年若き男女が、よく磨かれたる鏡にみずからの顔を写して、ちりあかがあれば、これを除かんと努め、ちりあかのなき時は幸福なりと喜ぶがごとし。」
 
この説をビクらは喜びて信受せり。

南伝九巻一五九頁中部第一五思量経