三宝法典 第ニ部 第一項 最終目的

 最終目的

時にピンガラコッチャ・バラモンは、祇園精舎にとどまりたもう世尊のみもとにまいりて申し上げたり。
 
「世尊、今日、六人の名高き師が人々に尊ばれ、多くの弟子サンガと聖典を持てり。これらの師はみずから言えるがごとく、まことに大智をもてるものなるや否や。」
  
バラモンよ、これらの問いを止めよ。かれらに大智があるや否やはしばらくおきて、わが説く法を聞きて信ずべし。

バラモンよ、たとえば人ありて樹の芯を求めて林に入り、大樹のもとに至り、樹の肉も得ず、皮も得ず、枝葉を切り取りて帰るとせば、眼ある人はこれを見て、枝葉を樹芯とあやまりて持ち帰るは、何の役にも立ち得ずと言うべし。
 
バラモンよ、人ありて信仰によりて出家し、われは生老死、憂い悲しみ、苦しみ悩みに沈めるも、そのすべてより解脱せんと思うとす。されど供養と名誉と尊敬とを得るにおよび、心たかぶりて満足し、みずからをほめ他をそしるとせば、さらに道に進まんとなす希望を失い、怠けにおち入るなり。
 
また他の修行者は、供養と名誉と尊敬とを得るも心たかぶらず、道に進み、美しき規律を守る行によりて満足し、みずからをほめて他をそしる者あり。
 
また他の修行者は、これらにおぼれず、さらに道に進み、堅固なる心の統一を得て満足す。また他の修行者はこれらにおぼれず、さらに道に進み、明らかなる知恵を得て満足す。これらはいまだ樹芯にあらざるを樹芯とあやまれるなり。
 
バラモンよ、他の修行者は、信仰によりて出家し、供養と名誉と尊敬とにおぼれず、美しき規律を守る行にたかぶらず、みずから得たる堅固なる心の統一にもたかぶらず、明らかなる知恵を起こせるも満足せず、さらに道に進みてすぐれたる法の実現につとめはげむなり。

そはむさぼりを去り、悪をはなれ、心の統一の第一段ないし第四段、さらに空ははてなし、識ははてなし、存在は無し、想いもあらず、想いなしと言うにもあらずとの心境をこえて、想いや感受の無くなりたる心の統一の状態に入ることなり。これを得たるは樹芯を得たるなり。
 
この動くことなき心の解脱こそ、清らかなる行の目的にして終わりなり。」
 
ピンガラコッチャはこのみ教えを喜び、生涯、三宝の信者たることを誓いたり。

南伝九巻三五〇頁心材喩経
九次第定