横井小楠先生を偲びて   五 開国論と世界平和論  その四

先生は慶応三年二甥左平太・大平を米国に遊学せしめたが、その時の送別語中に。

  堯舜孔子の道を明らかにし、西洋器械の術を尽くす、何ぞ富国に止らん、
  何ぞ強兵に止らん、大義を四海に布かんのみ。

とある。茲で堯舜孔子の道と云うのは、東洋古来の倫理道徳或いは東洋の精神的文明のことであって、これを具体的に現わすために、支那古代の聖天子である堯と舜、或いは東洋の大聖である孔子の名を用いたのである。

それから次の西洋器械の術というのは、これは器械の発明に依って生じた西洋の物質的文明又は科学的文明のことを指すのである。即ち此の前後二旬に依って、東洋の精神的文明と西洋の物質的文明の結合を説いて居るのである。
 
而して更に第三句に於て、我が日本の国家としての使命目的に移りて、何ぞ富国に止らん、何ぞ強兵に止らんと云って居る。

今更改めて説くまでもなく、富国強兵の四字は、開国進取と相並んで、維新より今回戦争までの我が日本の指導原理であった。

また実際に於て世界の驚異に値する近世日本の興隆には、此の富国強兵ということが与って力が多かったのである。

先生も一面に於ては、勿論富国強兵論者であった。

併し乍ら先生は富国強兵だけでは満足致さない。即ち先生の説によると、国家の最高使命というものは、唯単に国を富まし、兵を強くするというだけではいけない。

そこには更に一層高尚なる一大理想というものがなくてはならない。それは何であるかと云うと、第四句の大義を四海に布くということである。茲でいう大義とは所謂正義人道のことである。
 
そこで、此の語の大意を約めて云えば、東洋古来の倫理道徳を基調とする精神的文明と西洋近代の機械工業を中心とする物質的文明の各其の長所を採って国家を富強に導くと共に、更に我が日本国の使命として天地宇宙間に一貫する正義人道を世界に宣布しようと云うのである。

先生の開国論はこれを指導方針としているのであって、日本を富強の国となして大義を四海に布こうと云うのが先生の理想であり、又かくすれば必ずや道義を基礎とする真実の世界的平和を招来することが出来ると云うのが先生の信念であり、なほ進んで日本が率先して万国平和、四海同胞の実を挙ぐるのが先生の目的であったのである。

さすれば、先生の開国論は決して外国侵略主義では無く、世界平和主義、四海兄弟主義に出でたものであって、又幕府が外国の圧迫に戦きつつ唱えた追隨的、屈辱的開国論ではなくして、積極的、自主的、進取的開国論であることは云うまでもない。
 
此等は先生にとっては一個の空想でも何でもなく、実際斯様に考えていたのである。それは元田東野の手書を見ればよく分かる。その中には先生が「天地の公道は国を開くにある、外国は夙に茲に見る所あるが、我が国にてもその経綸措置早く茲に一定せば天下の衰を興して富国強兵万国の上に出ん事掌を反すが如くである。

その第一着手として先ず米国と交親すべし、若し世の中に自分を用うる者あらば先すその使命を奉じて米国に至り誠信を投じて大に協議し以て財政の連用殖産交易振興する所あるべし、殊に米国の開祖ワシントンは常に戦争を止むるを以て志と為せるに、今や各国に於ける戦争の惨憺、生民の不幸之を聞くに忍びず。

故に米国大統領と会見して一和協同し、次で之を列国に説き、四海の戦争をやめしめん」と云ったことを書いた後、先生の此の大抱負に驚嘆して「その識見世論の外に出づ」と称揚している。これによりても先生の開国論は天地の公道から発したもので尋常功利の見地より打算したものではない。