2009-12-01から1ヶ月間の記事一覧

三宝 第91号 「釈尊仏教の教とは何か」 八聖道こそ中核

八聖道こそ中核 仏教とは人間がその本質に目覚めて、その本質に合ったよりよき生き方をするものである。神秘の力、超自然的な力などによって救われるといったことを目指すものではない。人間が教えられて実際に行うものであるから、誰でもがなし得るものであ…

三宝聖典 第一部 五七項 神通と鉢

神通と鉢 ピンドーラはバラモンの子弟の師なりしも、世尊のサンガに出家して戒を受けたり。もともとむさぼりの欲深かりしも、ついにその欲を滅ぼして覚りを開けり。 時にラージャガハのジュダイカ長者は、センダンの香木を得て思えり。 「この香木にて鉢を作…

旅公演二万キロ

『旅公演二万キロ』 胃ガンで切除 肺ガンで又切除 退院すると直ちに旅公演に出る 俳優宇野重吉のすさまじい生き方 演劇をじかに見たことの無い 全国の隅々を回るのだという それも二万キロという行程 合間あいまにサンソ吸入をして 一日一回点滴で体力を補充…

生き方メッセージ #63(人生コ-ス)

『人生コ-ス』 目的達成的に生きるのだが 完全主義だと息苦しくなる 自分なりのベストが大切だ 与えられた達成目的であろうと 自分なりに納得した目的ならば 自分なりのペ-スがあるはずだ 時にはベストで時にはベタ-で 人生コ-スは完走より外にない 厳し…

横井小楠先生を偲びて 3 小楠先生の生涯 (その二)

横井家の秩禄は新知で、知行は僅かに百五十石。肥後藩に於ける知行の実収人は「四ッ物成」と謂って手取り四割だから、百石の知行ならば正味四十石に過ぎない。しかもそれが定掟としてはありながら、藩財政の都合で実際はそれよりも更に少く、最も少い時は僅…

三宝 第91号 「釈尊仏教の教とは何か」 本論は「教・行・証」

本論は「教・行・証」 この小論は釈尊の仏教にある程度の関心を持たれる方を対象としているーので直ちに本論に入る。三学=教行証。教とは仏教の真理観、行とはその体得方法、証とはその体得。 この小論は教のしかも最も中心的なものに限定。仏教の解説書は…

三宝 第91号 「釈尊仏教の教とは何か」 本論は「教・行・証」

本論は「教・行・証」 この小論は釈尊の仏教にある程度の関心を持たれる方を対象としているーので直ちに本論に入る。三学=教行証。教とは仏教の真理観、行とはその体得方法、証とはその体得。 この小論は教のしかも最も中心的なものに限定。仏教の解説書は…

三宝聖典 第一部 五六項 ケーマーと老婦

ケーマーと老婦 サーガラ城のマッダ王の王女と生まれしわれは、魅力ありて人々より愛され、城中は平和なりしかばケーマーと名づけられたり。 年頃となりて容色そなわりたれば、父はわれをビンビサーラ王に与えたり。王に深く愛され、容色を誇りとし喜びとせ…

ワンポイント自信

『ワンポイント自信』 自分の欠点を直すのは難しい 運動嫌いを急に好きに直せない様に 心に止めておく位はしたいものだ 自分の得意をやるのは楽しい 楽しい事なら誰でも集中する その内に工夫するから上手になる 自分の取り柄はこれこれであると 一点に自信…

凡小庵

「凡小庵」 わが家も持たず借家という事は 自ずから出家ということになる 仮住いが仏教者の在り方だからか さ細いながらも宗教活動を続ける 文書印刷通信対話をなし得るのは 凡小庵のお与えによるものだからだ 何らかの活動において安らぎを得る それは人間…

生き方メッセージ #62(輝く人間)

『輝く人間』 誰でも安定を好むものだが 一方でマンネリを好まない この両方でバランスを取る 誰でも活き活きと生きたいが 時には余裕を持ちたいと思う この両方は一連のものなのだ 誰でも心の弾力が欲しいし 誰でも心が豊かにありたい この両方で輝く人間と…

横井小楠先生を偲びて 3 小楠先生の生涯 (その一)

3 小楠先生の生涯 これから小楠先生の生涯について述べるが、私の小著「横井小楠傅」でも、これに菊版で約千三百頁を要しているから、短い時間ではとても話し尽くされぬので、大いに省略することにする。又先生の私生活殊に家庭人としての先生については頗…

三宝 第91号 「釈尊仏教の教とは何か」 序論と本論

三宝 第91号 「釈尊仏教の教とは何か」1981年4月1日刊 田辺聖恵 序論と本論 序論=業報三論、本論=教行証。まず坐れ!とか、まずおすがりせよ!とか、どうも日本式になったものは、奪という、どギモをぬく方式が多いようである。我があるから苦しむ…

三宝聖典 第一部 五五項  ブッダの日常

ブッダの日常 時に世尊、五百の弟子をともないてビデーハ国に正導の旅をなしたまえり。異教徒ウッタラはその師、ブラフマーユ・バラモンの命を受けてブッダのみもとに参り、つぶさにブッダ世尊の三十二の大人相を拝し、七ヵ月世尊に従い、その威儀の厳粛なる…

深層祈念

『深層祈念』 人はどうにもならない時 祈念する 何に対してという事なしに祈念する この祈念が出来る事は幸いである こうした祈念を気休めとするのは 人間の深層意識を知らないからだ この深層に届く祈念には反応がある 人はかねてに祈念すべきであろう それ…

生き方メッセージ #61(せい一杯)

『せい一杯』 せい一杯 自分を活かす これ程の喜びはない これこそが今を生きる事だ やらねばならない事がある これ程の充実はない これこそが生かされなのだ 新しい道が開ける これ程の力付けはない これこそが真の報われなのだ 「せい一杯」 誰にでも時に…

横井小楠先生を偲びて 2 「横井小楠傳」著述の動機 (その三)

私は明治三十四年来当地の医学校及び病院に勤務し、医育と医術に従事した関係から、昭和四年「肥後医育史」なる一書を著わしたが、其の資料蒐集に当り肥後の西洋医学の興隆と発達とに、前述の如く小楠先生の力の輿って大なるものあるを認めたのがもとで、諸…

人間回復

「人間回復」 これでいいかとの自省がなければ 余程好調さの中にいるに違いない 余程安易さの中にいるに違いない 何億年という命の伝承があって 無数の恩恵を受ける事によって 自分という存在が許されている 今最も必要なのは挫折することだ 根本を考える力…

浄福 第68号 人々の頂点にある神々

人々の頂点にある神々 以上のように考えてくると、ボン天が釈尊に法を請うた話は、解釈が出来にくくなる。そこでかどうかは分らぬが、現代の仏教学者の一部は、それを釈尊自身の内なる声と捉える。つまり内なる声を神の声として文学的に表現したもの、表現上…

抱き合わせ

『抱き合わせ』 ファンタジ−もポエムも 引き出しの奥にしまい忘れて 数字のオバケと取り組む毎日 ガラパゴス島のイグアナたちは 朝日でゆっくり体をあたためると やおら海にもぐって岩ゴケを食べる 人間はただ生きているだけではない 文明や文化や理想を持っ…

三宝聖典 第一部 五四項  尼僧教団の成立

尼僧教団の成立 世尊、父王の葬式をすませニグローダ林にとどまりたもう時、マハーパジャーパティーは世尊のみもとに参り、婦人の出家を三度願いたれど、世尊は三度これをしりぞけたまえり。 世尊、それよりベーサーリーに帰り、重閣講堂にとどまりたまえり…

生き方メッセージ #60(豊かな心)

『豊かな心』 遠距離の電話が入る 共感と友愛と互恵の三心が あなたに揃っていますかと 共感は自分本位の反対側だし 友愛は無関心から出てこない 互恵は競争心を越えるものだ 心の豊かさを求めるというのは 一つ一つ心づくりして行く事だ 丁度遠距離を歩いて…

横井小楠先生を偲びて 2 「横井小楠傳」著述の動機 (その二)

熊本には昔から漢法医学が根強く広く行われていたが、小楠先生は之を斥けて頻りに西洋医学を鼓吹奨励した。自家は云う西洋医家の診療を受けるよう勧め、西洋医家とは親しく交わって之を鼓舞し、其の窮せる者は之を補助し、又西洋医学を学ばんとする者を先生…

浄福 第68号 人間と神々とブッダ

浄福 第68号 1979年5月1日刊 「人間と神々とブッダ」 田辺聖恵 北方に伝えられた大乗経典には、仏・ボサツ(菩薩)・竜王それにいろいろな神が出てくるので、日本人にとっては、ヘキエキする位であるが、南方に伝えられた原始経典(南伝大蔵経)には…

三宝聖典 第一部 五三項  父王の死

父王の死 世尊、ベーサーリーに安居したもう時、父スッドーダナ王の病い重きを聞かれ、いそぎカピラ城に帰られたり。世尊はナンダと共に王の枕べに立ちたまえば、そのみ光りは、父王の病苦をやわらげたり。 病いを見舞わられ法を説き、すべてのものごとの変…

生き難い人々

『生き難い人々』 砂漠の中を二五キロ五時間も歩いて 井戸の水を求めにくる話しがある 生きる為のまるで戦いのようだ カリフォルニアには家なしの人が 百万人も集まってきていると言う アメリカの繁栄の結果だろうか 生き難い思いで生きている人々を 心の片…

生き方メッセージ #59(ビジョンをビジアルに)

『ビジョンをビジアルに』 未来展望がどのように有るか これをどの様に視覚化するか ここにリ-ダ-シップがある ビジョンこそが牽引力だ ビジアルならば達成的だ この二つは一体の働きだ ビジョンは照明の点火となる ビジアルは舞台装置を決める いよいよ演…

横井小楠先生を偲びて 2 「横井小楠伝」著述の動機 (その一)

2 「横井小楠伝」著述の動機(小楠先生の肥後西洋医学弘奨) 此の講演会に於て先生を語るのには外に然るべき人がおろうと思うのに、県教育委員会が私にその講演を命ぜられたのは、只今永井教育次長の御挨拶によると、私がさきに「横井小楠傅」を著述して之…

三宝 第134号 心の悪魔との対決 #5 (正導の旅以外に無い)

正導の旅以外に無い 覚り-悟るという事は、正しき思いを持ち続ける、という事である、人間とは何か、人間をとりまく自然とは何か、その両者の関係はどうなっているか。それは縁起性である。一切は相互関係にあって影響しつつ変化してゆくものであると知るこ…

在り方と仕事

『在り方と仕事』 どの様な仕事をするかという点では 様々な才能の組み合わせが必要だが それが時流に適するかどうか分からない どの様な人間になるかという点では ただその人に求める心があれば良いし それはどの様な時代にでも必要な事だ 人間としての在り…