生き方メッセージ #61(せい一杯)

  『せい一杯』        
せい一杯 自分を活かす
これ程の喜びはない
これこそが今を生きる事だ
 やらねばならない事がある
 これ程の充実はない
 これこそが生かされなのだ
新しい道が開ける
これ程の力付けはない
これこそが真の報われなのだ
              
「せい一杯」 誰にでも時にためらい時に張り切るという振幅はあるものだが、心を立て直し立て直ししてゆくのが人生であろう。そして「せい一杯やっている」という思いが次第に多くなるにつれて、生きるという実感になる。

     『人生の中心点に自分を見いだすのが生き方だ』
 仕事そのものに最大関心だったのが、その事の中心点に自分の人生があると気付かされてくる。自分の生き方の大部分に仕事があるとなると、仕事の意味がまるで違ってくる。こうして自分を活かす事が最大関心となるものだ。

[せい一杯] 今の子供は何かを貰った時、「やった!」と言います。もらったのにやったでは変な言葉づかいになりますが、このやった!は自分がせい一杯した事の喜び充実を現す感激の言葉なのですね。つまり子供はせい一杯する事の喜びで生きているのですね。所が妥協的になってしまった親大人は、まるで違う事を仕向けます。

「せい一杯やる事=せい一杯の喜び」という単純明快な人間原理をほとんどの人が忘れるか無視する事で、自分の「反せい一杯」を合理化するのですね。泡の抜けたビ-ルでもビ-ルはビ-ルだという事でしょうか。この所、人生八〇年にはなりましたが、その大半が反せい一杯というのでは、何とも勿体ない事になりますね。