三宝聖典 第一部 五五項  ブッダの日常

ブッダの日常

時に世尊、五百の弟子をともないてビデーハ国に正導の旅をなしたまえり。異教徒ウッタラはその師、ブラフマーユ・バラモンの命を受けてブッダのみもとに参り、つぶさにブッダ世尊の三十二の大人相を拝し、七ヵ月世尊に従い、その威儀の厳粛なるに感歎し、師のもとに帰りてそのさまを報じたり。

「師よ、シャモン・ゴータマは足裏の肉、豊かにして平らなり。手足の指細長く、柔らかにして水かきのごときあり。立ちたまえる時に手は膝をこえ、毛髪は右にうずまき、身は金色の光りに輝き、肌はなめらかにして肩や首は平らなり。歯は白くそろいて頬の肉 豊かなり。み声はなごやかにしてよく聞え、目の色は紺色にして、みけんには白色の毛うずまきて光明を放ち、頂きの肉は高くして髪をゆえるがごとし。                                    

かくのごとく三十二の大人相をそなえたもうなれば、家にあれば転輪聖王となり、家を出ずれば如来となりたもうおん身なり。

師よ、さらに驚歎すべきは、威儀の厳粛なることなり。シャモン・ゴータマはまず衣を着け、さらに外衣を腕にかけてより室を出でたもうなり。園より村に入り、町を通りて家に入り、身を正して坐したまい、手をゆすぎて飲食を受け、食し終わりて手をゆすぎ、御礼の法話をなして座を立たれ、家を出でて町を通り村に入り、園に帰りて室に入らるるなり。
 
衣を着くるにもかくるにも正しく整えて、身を飾るためならず、ただ蚊やアブ、風と日照りを防ぎ、身を現さざるごとくなしたもうなり。室を出でたもうに身を曲げず、右の足よりふみ出だし、歩みを乱さずちりも立てられず、目は中ほどを見てものに心を奪われず、五官はつねに静かにして定まれり。

坐して悩みなく、またそれを楽しむというにもあらず、飲食はほどほどに受けてほおばらず、よくかみて昧わい、むさぼりたもうことなし。ただ無病にして長寿のために、また病いを治して新しき病いを受けざるために、また身の力を得んがためなり。

また食終わり、手をすすぎ鉢を清め、鉢をふきて手をふき、ほどよき所に置きて手なぐさみせず、また受けたる食を褒めもせずそしりもせず、食し終わりてしばらく黙したまい、家族らに法話をなして座上り立ちたもうなり。
 
室に帰りたれば、白他の両利、一切世間の利益をつねに念じて心の統一に入られ、夕ぐれには静思より出でたもうて、御顔はことのほかつややかなり。

大衆に対しては必ず法を説きて正導したまい、すずやかにして明瞭、美しくなごやかに、充実して分かり易く、いと深くまた博く、八種の音声をもって大衆の心を静め、かつ歓喜せしめられ、座より立たれてはふりかえりつつ、なごりをおしみて去りたもうなり。シャモン・ゴータマの日常はかくのごとく、あるいはこれよりすぐれたり。」と。
 
師のブラフマーユ・バラモンは、これを喜び、後にミテイーラにおいて世尊に会いたてまつり、次第説ならびに四聖諦の法を聞きて喜び、法の眼を得て三宝の帰依者となり、しばらくして生を終えたり。
 
「かれは賢者なり、法を得たる者なり。かの世にてニバーナに入り、ふたたびこの世に帰り来たることなし。」と世尊は、仰せられたり。
南伝一一巻上一七八頁中部九一梵摩経