2009-12-23から1日間の記事一覧

凡小庵

「凡小庵」 わが家も持たず借家という事は 自ずから出家ということになる 仮住いが仏教者の在り方だからか さ細いながらも宗教活動を続ける 文書印刷通信対話をなし得るのは 凡小庵のお与えによるものだからだ 何らかの活動において安らぎを得る それは人間…

生き方メッセージ #62(輝く人間)

『輝く人間』 誰でも安定を好むものだが 一方でマンネリを好まない この両方でバランスを取る 誰でも活き活きと生きたいが 時には余裕を持ちたいと思う この両方は一連のものなのだ 誰でも心の弾力が欲しいし 誰でも心が豊かにありたい この両方で輝く人間と…

横井小楠先生を偲びて 3 小楠先生の生涯 (その一)

3 小楠先生の生涯 これから小楠先生の生涯について述べるが、私の小著「横井小楠傅」でも、これに菊版で約千三百頁を要しているから、短い時間ではとても話し尽くされぬので、大いに省略することにする。又先生の私生活殊に家庭人としての先生については頗…

三宝 第91号 「釈尊仏教の教とは何か」 序論と本論

三宝 第91号 「釈尊仏教の教とは何か」1981年4月1日刊 田辺聖恵 序論と本論 序論=業報三論、本論=教行証。まず坐れ!とか、まずおすがりせよ!とか、どうも日本式になったものは、奪という、どギモをぬく方式が多いようである。我があるから苦しむ…

三宝聖典 第一部 五五項  ブッダの日常

ブッダの日常 時に世尊、五百の弟子をともないてビデーハ国に正導の旅をなしたまえり。異教徒ウッタラはその師、ブラフマーユ・バラモンの命を受けてブッダのみもとに参り、つぶさにブッダ世尊の三十二の大人相を拝し、七ヵ月世尊に従い、その威儀の厳粛なる…

深層祈念

『深層祈念』 人はどうにもならない時 祈念する 何に対してという事なしに祈念する この祈念が出来る事は幸いである こうした祈念を気休めとするのは 人間の深層意識を知らないからだ この深層に届く祈念には反応がある 人はかねてに祈念すべきであろう それ…