三宝 第134号 心の悪魔との対決 #5 (正導の旅以外に無い)

   正導の旅以外に無い
 
覚り-悟るという事は、正しき思いを持ち続ける、という事である、人間とは何か、人間をとりまく自然とは何か、その両者の関係はどうなっているか。それは縁起性である。一切は相互関係にあって影響しつつ変化してゆくものであると知ることが正しい理解である。その理解によって今までの疑惑や悪感情がなくなり、友愛的な感情になる事が正しき思いである。さてこのように悟り、自己が解決されれば、もう自己中心的に、自分のために生きるという必要がなくなってくる。一切は相関関係にあるという事が、人間自然を一体として貫ぬく真理法である。悟るという事はその真理法そのものに自らなり切るという事である。
 
釈尊はそのようになられた。一切は相互関係にあるという事に自己がなり切るという事は、相互関係を実践する、互恵真理を実践して生きるより外はない、という事になるのである。
 
「国より国へと旅ゆかん」と釈尊は決意し、その様に四十五年間、旅から旅へとゆかれ、少しも停滞される事がなかった。それは単なる旅ではない。弟子や信者を導く、正導の旅である。しかもその法、その道は少しも難解ではなく、誰でも理解し納得できるものである。

それによって沢山の弟子たちがニバーナと云われる悟りを体得する事が出来た。そしてその直弟子たちは、その能力に応じて、それそれが、弟子や信者を正導する旅に出たのである。ここに単なる観念論でない、体験と実行の宗教の本質が行われたのである。
 
十二月八日は釈尊が悟られた仏教者にとって、最大の記念すべき日である。それは釈尊が正導を始められる開始点でもある。仏教者のあるべき、行うべき最大お手本の日とでも云うべきであろう。



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