2010-02-01から1ヶ月間の記事一覧

いのち大切

『いのち大切』 あっけなく死ぬ事もあり 思わず助かる事もあるが いのちはもともと大切なものだ 単なる偶然で生まれたのではない 親が子という形になってきたのだ だから必然という重さがある 自分のいのちだから大切にする 生かされのいのちだから大切にす…

三宝法典 第二部 第三四項 一人子 ラッタパーラ

一人子ラッタパーラ 時に世尊、クル国に道を伝え、トーラコッティタ村にとどまりたまえり。人々は世尊のみ名をしたいて四方より集まり、法を聞きて歓喜せり。 長者の子ラッタパーラは人々の中にありて法を聞き、人々の立ち去りたるのちに、世尊を礼拝したて…

師弟の道 師の本質

浄福 第38号 1976年10月1日刊 「師弟の道」 田辺聖恵 師の本質 師とは何か。 一、自己形成(修行) 二、真実正導(啓蒙) 三、弟子形成(育成) 仏教に限らず、教育はすべて、人間形成を目的とする。少くとも日本においてはそういうことが出来る。…

おりじなる童話 ぬいぐるみ

吉永光治のおりじなる童話 ぬいぐるみ 「うあーん」 ともこが おもちゃ うりばで ないています。 「うさぎの ぬいぐるみないんだからしようが ないでしょう」 おかあさんは ともこの かおを のぞきこんで いいました。 「いやだよー うさぎの ぬいぐるみが …

素晴らしい人間

『素晴らしい人間』 どうでも思う様にならないなら 死んだ方がましだと思うのは 自分が拒否されたからの怒りだ いくらでもバイパスは有るのに 人がとかく直進にこだわるのは 自分中心に物事を考えるからだ 体に自然治癒力があるように 心にも自浄能力がある…

三宝法典 第二部 第三三項 嫁と姑

嫁と姑 サーバッティーに信仰厚き青年あり、父親死して老い先みじかき母親に、妻も迎えず孝養をつくせり。母親は一人のよき娘を見出して嫁となし、一家和合し、青年は時おり精舎に参り、世尊のみ教えを喜べり。 嫁は時に心変わりなし、姑を憎み、別居なさし…

施と捨

浄福 第37号 1976年9月1日刊 施と捨 三宝を信じるだけでも、釈尊仏教の仏教徒と云えるのであるが、さらに規律を守る(行動)ことが大切だと信ずる(やがて実行するようになる)なら、なお善い信者とされる。 つまり「三宝と戒」の四つを信仰するわけ…

童話「せんがいさん」 みんな おなじとし

童話「せんがいさん」 吉永光治作 みんな おなじとし むかし はかたに せんがいさんと いう おぼうさんが いました。 とても えらい おぼうさんで いろいろと こころに ひびく おはなしが あります。 せんがいさんの てらの ちかくに たいへん いせいの いい…

豊か人間

『豊か人間』 柔軟な発想 ソフトなアイディア 仕事をしたり 何かのプレイをしたり 人間はもともとソフトな存在なのだ 勤勉な仕事 熱心さや根気継続 物を作ったり 時にはセ−ルスしたり 物事にはベ−シックな確実さが必要だ 誠実な人間関係 明朗さや思いやり 苦…

三宝法典 第二部 第三二項 ラーフラと念息

ラーフラと念息 時に世尊、衣をつけ鉢を取りでサーバッティー城に托鉢したまい、尊者ラーフラはそのみ後ろに従えり。世尊かえりみたもうて仰せられたり。 「ラーフラよ、すべてのもの及びものごとに対し、わがものにあらず、われにあらず、またわが本体にも…

三宝という基本信仰

浄福 第37号 1976年9月1日刊 三宝という基本信仰 幸せを得る為にも、覚り・救われの徹底を得る為にも、第一の基本―「三宝」を信ずることが必要である。三宝とは、 ブッダ(仏陀)―理想者、真理を体得して、自らその様に活き、これを人々に教え導き(…

童話「せんがいさん」 こどもを なくした ふうふ

童話「せんがいさん」 吉永光治作 こどもを なくした ふうふ はかたに せんがいさんという おぼうさんが いました。 とても えらい おぼうさんで いろいろと こころに しみる おはなしが あります。 あるひ せんがいさんの ところへ ふうふが やって きまし…

三宝法典 第二部 第三一項 流木の譬え

流木の譬え 時に世尊、コーサンビーの郊外に出でてガンジス河の岸辺に立たれ、材木の流れきたるを見たまいて仰せられたり。 「ビクらよ、かの流木を見るや。かの流木が両岸に近づかず、中流にて沈まず、陸へも打上げられず、人にも取られず、非人にも取られ…

静エネルギ−

『静エネルギ−』 静から動へ 動から静へ 生命はこれを繰り返す 繰り返すから生命で有り得る 食べない状態から食べる行動へ 生命は安定状態から変化行動へ エネルギ−の変容が生命存続だ 静は単なる安定ではない それはエネルギ−の再生産である それは行動意欲…

信者のゆくて

浄福 第37号 1976年9月1日刊 信者のゆくて 在家の信者と、弟子の出家修道者とは、その徹底の仕方において、かなりの差があるとみるのが、実際ではなかろうか。勿論、信者においても、信仰に徹底することは不可能ではないが、数はずっと少かったとみ…

童話「せんがいさん」 ずきんなしの だいこくさま

童話「せんがいさん」 吉永光治作 ずきんなしの だいこくさま むかし はかたに せんがいさんと いう おぼうさんが いました。 とても えらい おぼうさんで いろいろと おもしろい おはなしが あります。 あるひ おかしやさんが せんがいさんの ところへ やっ…

自己開放

『自己開放』 自己を開放するということは 出入自在と言う事であろうか しかも自己は自己としてある 一つの細胞が膜をもって自分であり エサを取り入れ排泄して自分である 自己と環境の適応開放と言うべきか 自己を表現して生きる自己開放 外界を受容して生…

三宝法典 第二部 第三〇項 出家性と反省

出家性と反省 時に世尊、ラージャガハのカランダカニバーパにとどまりたまえり。ある夕べ、世尊はサマーディより立たれて、アンバ林に尊者ラーフラを訪れたまえり。 はるかに世尊の来たりたもうを見て、尊者ラーフラはその座席と足洗いの水を用意せり。世尊…

衣鉢をつぐ者 (下) 共に行じる

浄福 第36号 1976年8月1日刊 衣鉢をつぐ者 共に行じる 田辺聖恵 反省することの早かった彼に師は、学習をする者のあり方、価値ある人間としての生き方をねんごろに教えられる。 共に行じ、一つ所に往することが、学習者のまず第一の条件である。各自…

童話「せんがいさん」 すりばちひとつ

童話「せんがいさん」 吉永光治作 すりばちひとつ むかし はかたに せんがいさん という おぼうさんが いました。 とても えらい おぼうさんで いろいろ と おもしろい おはなしが あります。 あるひ せんがいさんの ところへ おさむらいさんが あそびにきて…

己に徹す

『己に徹す』 己に徹すればいずれは独自 個性を云々する時代ではあるが 己に徹する事はまことに難しい 売れるか売れないかで判断する 経済至上の現代社会において 己に徹するには生活さえ難しい 難しさの中で自己を貫く事が 己に徹する事なのかも知れない 安…

三宝法典 第二部 第二九項 ビク尼の答え

ビク尼の答え (時にビサーカと言える在家者、ラージャガハにあり。家栄えてダンマディンナーを妻としてむつまじき家庭を営み、世尊の教化にて在家のまま、ふたたびこの世に還えらざる証しを得たり。ダンマディンナーは夫の導きにより、世尊の教化をさらに受…

衣鉢をつぐ者(中) 師に従わぬ報い

浄福 第36号 1976年8月1日刊 衣鉢をつぐ者 師に従わぬ報い 田辺聖恵 自ら信を持って従ったはずの師に、逆らって、別の道を歩むということは、何か現代を象徴しているとも云えよう。個性尊重という流行語に支配されて、やたらと独自性を打ち出そうと…

童話「せんがいさん」 きくと ひとのいのち

童話「せんがいさん」 吉永光治作 きくと ひとのいのち むかし はかたに せんがいさんという えらい おぼうさんが いました。 とても えらい おぼうさんで いろいろと おもしろい おはなしが あります。 くろだの とのさまは きくのはなが だいすきでした。 …

三宝法典 第二部 第二八項 神との似通い

神との似通い 時に世尊、マナサーカタの村にいたり、アチラバティー川のほとりなる林にとどまりたまえり。時に異なれる師を有する二人のバラモンの弟子、討論して決し得ず、世尊のみもとにまいれり。 「バーシッタよ、三明のバラモンのうちに、一人なりとも…

活かす

『活かす』 人を活かす 己を活かす 物を活かす 人を活かせば 人から喜ばれる 己を活かせば 役立つ喜びになる 物を活かせば 人も己も喜びになる せっかくの人生を 活かしてゆこう せっかくの人生を 実らしてゆこう せっかくの人生を 喜んでゆこう [活かす]−…

衣鉢をつぐ者 (上) つきそい人

浄福 第36号 1976年8月1日刊 衣鉢をつぐ者 つきそい人 田辺聖恵 アーナンダ尊者が、釈尊のお身の廻りをお世話する常従のビクとなったのは、釈尊が御年五十五になられた時である。このナーガサマーラが、釈尊につき従ったのはその前のことであろう。…

童話「せんがいさん」 じごく ごくらく もんどう

童話「せんがいさん」 吉永光治作 じごく ごくらく もんどう むかし はかたに せんがいさんと いう おぼうさんが いました。 とてもえらい おぼうさんで いろいろ と おもしろい おはなしが あります。 あるひ あるおてらの おぼうさんが せんがいさんを た…

プラス人生

『プラス人生』 実行力が足りないマイナス点は 着実さを尊重するプラス点である この様に私は自己分析と容認をする 生きてゆく事自体が自己へのプラス マイナスを踏み台にしてプラスにする プラスにはさらに信念をプラスする 人生を悲劇のドラマにする必要は…

三宝法典 第二部 第二七項 慈愛の叱り

慈愛の叱り 時に世尊、サーバッティーの祇園精舎にとどまりたまえり。尊者ヤソージャを長となす五百のビクら、世尊を礼拝せんとして来たり、精舎のビクらと挨拶し、もの音高くたててふるまえり。 世尊はアーナンダに命じて、かれらを呼びたまい、 「おんみら…