衣鉢をつぐ者 (上) つきそい人

浄福 第36号 1976年8月1日刊

             衣鉢をつぐ者
  つきそい人
                            田辺聖恵
アーナンダ尊者が、釈尊のお身の廻りをお世話する常従のビクとなったのは、釈尊が御年五十五になられた時である。このナーガサマーラが、釈尊につき従ったのはその前のことであろう。(三宝聖典 第一部第五十項 別れ道 参照)
 
彼が何故、師に逆らって別の道をゆこうとしたのかはしるしてないから分らないが、ゆくてに彼の何か期待することがあったのかも知れない。彼は、師に従わず、その持つていた師の衣と鉢を地面に 置いてさっさとゆくあたり、彼の若さと人間としての未熟さがいかにも察せられる。
 
衣とは、釈尊以下その出家のお弟子さん達は、身につけている衣の外に、外衣を左手に持つ、その衣のことである。これは、四つに畳んで、大地の上に敷いて坐布団にしたり、拡げてその上に眠って野宿したり、寒い時に着る外衣である。これは外出する時に必らず左腕にかけてゆくように定めらていたのは、いつどこでも野宿出来るようにとの用意であり、同時に家庭を捨てゝ、法を依り所としている覚悟を示すものでもある。
 
日本ではこのように野宿することは、出来にくいから、どうしても寺を住所とせねばならず、そこに金銭、人間的つながりなどが複雑になって、何ものにも束縛されず、天地を相手にして生きるといった条件を整えることが出来ないことは、残念なことである。

鉢とは、四合の食物を容れる鉄の鉢で、食物の分量を計るのにも用いられるから応量器ども称せられる。ビクとは出家の修道者でるから、ご飯はすべて托鉢による。例外としては食事の招待を受けることもある。托鉢・乞食とは、一軒々々の門口に立って、その家の者が食物を施す時にこれを受けて食する。しかし、たゞ喰べたいから、喰べさせてくれと乞い願うのではない。
 
施す人に「施す」という機会を与えるということにむしろ重点がある。施しを受ける人がいなければ、施すことによって(善因)己が幸せ(善果)を受けることが出来ない。在家の人々は、専門的に仏教を研究したりする能力も少いし、又、覚りを求めるよりもむしろ幸福を求める方が強い。それだから家庭を作っているのである。従って、在家信者というものは、この施すという行為(施行)によって、幸福を求め、いずれは法(覚り=真理)を求める心にと向上するのである。従って、在家の信者が、施行をぬきにして、坐禅だけをしたり、仏教的知識をよせ集めたりしても、それは趣味のようなもので、本当の仏教にはならない。独習をするものは、必らずこの施行をやってゆかないと、物おしみの学習となる。
 
衣と鉢は、その修道者の生活と、打ち込んでゆく全精神を象徴するものである。釈尊はその弟子に、鳥が両翼を備えるようにつねに衣鉢を左右に持ってゆけと命ぜられた。こうしたことから衣鉢を継ぐというコトバが生れたのであろう。/font>

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