童話「せんがいさん」 みんな おなじとし

童話「せんがいさん」 吉永光治作

みんな おなじとし

むかし はかたに せんがいさんと いう おぼうさんが いました。

とても えらい おぼうさんで いろいろと こころに ひびく おはなしが あります。

せんがいさんの てらの ちかくに たいへん いせいの いい だいくさんが いました。

くれも おしせまった あるひ せんがいさんの ところへ だいくさんが やってきました。

「おやっ きようは めっぽう げんきが ないのう」
 
「へい ちかごろ きゅうに としを とりまして おもうように しごとが できなくなりました」
 
だいくさんは かたを おとして ほっと ためいきを つきました。
 
「そんな としでも あるまいにのう」
 
「いえ また としを ひとつ とらなくては なりません」
 
「もうすぐ しょうがつ じゃな」
 
「じつは せんがいさんに おねがいが ございます。としを とらないように できないものでしょうか」
 
「としを とらないように してくれと いうのか」
 
「さようで ございます」「ふむ それは かんたんじゃ。としを とるのは おまえが いきているからじゃ。しねば としを とらなくて すむぞ」
 
「そ それは こまります。しんでは なにも できません」
 
「そうじゃろう」

だいくさんは じっと かんがえて いましたが 
 
「それでは 百さいまで いきれるようにできない ものでしょうか」
 
「ほう 百さい までか。よくが ないのう。わしは また 二百さい まで いきられる ようにと いうかと おもったわい」
 
「え それでは 二百さいまで いきられるように してください」        

「よし そうか 二百さいまで いきたいか。じゃがのう にんげん 二十さいじゃろうが 五十さいじゃろうが いきているうちは みなおなじとしじゃ。そんなことを かんがえて いるうちに おまえのとしが にげて いくわい」
 
だいくさんは はっと きがつきました。

「そうだ。わしは ひとときも むだに できんわい」
 
あいさつも そこそこに いそいで かえって いきました。
                             =終わり=

【メモ】八十六歳になった仙厓は、虚白院独居吟「生まれてきたときもひとり、死んでゆく時もひとり、生まれてから死ぬまでの中間は、ひとりではいられない、独り死ぬると思う我がむすべる庵に独りすむなり」を造り、門を閉じて独りに徹したかったが、仙厓の跡を継いだ湛元が藩の怒りにふれ聖福寺住職の退任を命ぜられたので、再び聖福寺第百二十五世一に就いている。だが、八十八歳になった天保八年(一八一七)九月、病床につき、十月七日「来る時来処を知り、去る時去処を知る、手を懸崖撒(てつ)せず、雪深くして処を知らず」の辞世の詩を残し涅槃(ねはん=入滅)に入った。(三宅酒壺洞「博多と仙厓」より)

よしなが・みつはる氏は1937年生まれ。日本人類言語学会会員 童謡詩人、童話作家。講演活動中。福岡市在住。