童話「せんがいさん」 こどもを なくした ふうふ

童話「せんがいさん」 吉永光治作

こどもを なくした ふうふ

はかたに せんがいさんという おぼうさんが いました。

とても えらい おぼうさんで いろいろと こころに しみる おはなしが あります。

あるひ せんがいさんの ところへ ふうふが やって きました。

「めを まっかにして どうなされたのじゃ」
 
せんがいさんは ききました。
 
「わたしたちには かわいい こどもが ひとり ございました」
 
「その こどもがどうかしたのじゃな」
 
「はい きゅうに びょうきで しんでしまいました」
 
「それは かわいそうにのう」
 
「それからは こどもの ことを ひとときもわすれることが できません。あのこが いなければ はたらく きりょくも ございません」
 
「それは そうじゃのう。わしが いのって あげても おまえさんたちは こどもの ことは わすれられまいて」

せんがいさんは じっと かんがえて いましたが
 
「おお そうじゃ ふうふで こどもを なくしていない いえを さがして みずを もらって まわらっしゃい。そのみずを ひとくちづつ のむと こどもの ことを わすれることが できるかも しれないがのう」
 
ふうふは おれいを いうと かえっていきました。

つぎのひから ふうふは こどもを なくしていない いえを いっけん いっけん さがして まわりました。
 
でも どのいえを たづねても こどもを なくしていない いえは ありませんでした。
 
ふうふは いえに かえって かんがえました。
 
「かわいい こどもを なくしたのは わたしたちだけではない。どのいえも みんな おなじことだ」
 
それから ふうふは いっしょうけんめい はたらきました。

※むかしは せいかつが くるしい ひとが おおく びょうきで こどもを しなせることが おおかった。

【メモ】仙厓の愛弟子で聖福寺住職を継いだ湛元は「湛元の知らぬ字は字ではない」といわれて学問はよく出来たが、若い時は操行がおさまらず、毎夜のごとく寺壁を乗り超えて、柳町遊郭に出入りするのが常だった。仙厓はよく知っていたが、一言もしからなかった。ある夜、仙厓は湛元が乗り越えていく寺壁の下に端座して、湛元が帰るのを待った。そんなこととは知らぬ湛元は、いい踏み台とばかりに乗り越えて、初めて帥の仙厓だと知った。今回こそはきつくしかられるだろうと、恐る恐る仙厓の前に出たが何も小言を言わず「昨夜、犬か猫が頭の上を踏み歩きやがって」と言うばかり。さすがの湛元もこれには恐縮し、以後、素行が改まったという。(三宅酒壺洞「博多と仙厓」より)

よしなが・みつはる氏は1937年生まれ。日本人類言語学会会員 童謡詩人、童話作家。講演活動中。福岡市在住。