三宝法典 第二部 第三〇項 出家性と反省

出家性と反省
 
時に世尊、ラージャガハのカランダカニバーパにとどまりたまえり。ある夕べ、世尊はサマーディより立たれて、アンバ林に尊者ラーフラを訪れたまえり。
 
はるかに世尊の来たりたもうを見て、尊者ラーフラはその座席と足洗いの水を用意せり。世尊は用意の座席につかれて足を洗いたまい、尊者ラーフラは世尊を礼拝して一方に坐せり。
 
世尊はごく少量の残り水を水入れに残して、ラーフラに仰せられたり。
  
ラーフラよ、おんみはこのごく少量の残り水を見るや。」
  
「見るなり、世尊。」       
  
「意識しつつ、いつわりを言いて恥じざる者のその出家性は、この水のごとくきわめて少量なり。」と。

次に世尊は、その少量の残り水をうつし捨てて仰せられたり。

ラーフラよ、おんみはこの残り水の捨てられしを見るや。」
  
「見るなり、世尊。」      
 
「意識しつつ、いつわりを言いて恥じざる者のその出家性は、かくのごとくうつし捨てられたり。」と。
 
次に世尊は、この水入れをくつがえし、さらに水入れを起こして仰せられたり。
  
「意識しつつ、いつわりを言いて恥じざる者の出家性は、かくのごとくくつがえされ、かくのごとくうつろなるなり。」と。
  
ラーフラよ。鏡は何を目的となすや。」  「鏡は反省を目的となすなり。」
 
「まことに、反省し反省して身の行いはなさるべきなり。また口の行いも心の行いも、反省し反省してなさるべきなり。わがなす行いは、われを害せざるや他を害せざるや、また不善にして苦のむくいをもたらすものならずやと反省し、かくのごとき行いは、努めてなすべからず。自他を害せず、善にして、楽のむくいあらば努めてなすべし。
 
またなしつつある時にも、反省して自他を害し、不善にして苦のむくいありと知りたればその行いを止め、さにあらざれば続くべし。またなし終わりて反省し、自他を害し、不善にして苦のむくいあるものなりと知らば、これを師あるいは智ある同行に示し、将来の防ぎをなすべし。さにあらざれば、その喜びをもって昼夜にその善法を修学すべし。

ラーフラよ。修道者にして過去において、身口意の三業を浄化せるものは、反省し、反省して三業を浄化せるなり。現在において、また将来において、この三業を浄化せんとなすものは、反省し、反省して浄化すべきなり。
 
ラーフラよ。このゆえに『われら反省し、反省して身口意の三業を浄化せん』と、おんみらは修学すべきなり。」
 
尊者ラーフラは、このみ教えを歓喜して信受せり。

南伝一〇巻二〇四頁中部第六一教誡ラーフラアンバ林経

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