三宝法典 第二部 第二八項 神との似通い

神との似通い

時に世尊、マナサーカタの村にいたり、アチラバティー川のほとりなる林にとどまりたまえり。時に異なれる師を有する二人のバラモンの弟子、討論して決し得ず、世尊のみもとにまいれり。
 
「バーシッタよ、三明のバラモンのうちに、一人なりとも真にボン天を見たるものありや。またそのバラモンの師や先祖七代の間に、一人なりと真にボン天を見たるものありや。」  「いななり。」
 
「いにしえのバラモンの聖者、聖呪の作者らは、ボン天はいずこにあり、何によってボン天となり、ボン天は何びとをよく知ると言いしや。」
 
「世尊、それらをいまだ聞かざるなり。」
 
「バーシッタよ、しからばおんみらの師は、みずからも知らず、その師も知らざる、また見もせざるボン天への道を示すものなれば、盲目者同士が道を見得ずして示すがごとく、愚かにして無益なり。名も知らず、所も知らず、その姿、形すら知らざる女を恋するがごとし。
 
バーシッタよ、ここに大雨降り、アチラバティー川あふれ、向こう岸へ渡らんとなす人ありとす。岸に立ちて向こう岸よ来たれと叫びかつ祈りをなすも、向こう岸の来たらざるがごとく、バラモンは真のバラモンの法を捨てて、ふさわしからざる法をなし、インドラ神、ボン天その他の神々を招かんとす。
 
またバーシッタよ、川のあふるる向こう岸に渡らんとなす人、強き鎖にてうしろ手に縛られて、向こう岸へ渡り得ようや。なすべき法を捨てたるバラモンは、五欲に縛られ、五つの不利益におおわれて向こう岸へ渡ることかたし。
 
またボン天には家族もなく、財産もなく、その心に怒りなく、害意もなく、けがれもなく、清浄なりと聞く。されど今日のバラモンはいかにあるや。」
 
「世尊、今日のバラモンはこれに反し、家族あり財産あり、心は怒りと害意とけがれに満ちてあり。」
 
「バーシッタよ、さればボン天とバラモンとは何らあい通ずるところなし。あい通ずるところなくして死後、その仲間となることかたし。」

「世尊、されば世尊はボン天に生ずる法を知りたもうや。」

「みずから生まれし村への道を示すは容易なるがごとく、ボン天界のこと、またそれにいたる道も明らかに知るなり。」

「世尊、われらを救わんがためにその道を説きたまえ。」

「バーシッタよ、心して聞くべし。如来がこの世に出でて法を説き、在家のものがこれを聞き、信を起こして出家なし、規律にしたがいて日をおくり、正行を楽しみとし、小罪にも恐れをいだき、五官の戸口を守り、五つの不利益をはなれて、肉体はのびやかに、心はすみわたり、静かに一点に集中す。慈しみの心にて一方を満たし、次いで二方、三方四方上下と、全世界を満たす。またあわれみの心、喜びの心、捨の心をもって全世界を満たす。これボン天に生ずる道なり。かくのごとく四無量心を修むるビクは、家族なく、財産なく、その心に怒りと害意とけがれなし。ゆえにボン天とあい通うものあり。それによりてボン天の仲間となると言わるるなり。」

バーシッタとバラドバージャはこの説法を喜びて在家信者たることを誓いたり。

アゴン一六、三明経
五欲(五官の欲望)
五蓋(五つの覆い-むさぼり・怒り・沈み眠り・うわつき・疑り)
四無量心(慈・悲・喜・捨)