2010-02-01から1ヶ月間の記事一覧

釈尊仏教の目指すもの (下)

浄福 第32号 1976年4月1日刊 釈尊仏教の目指すもの (下) 信という心構え 田辺聖恵 信とはその教えられた人生観への信頼度のことであるから、これは人によって深さが違い、深いほど、己をより確にしてゆくのは当然である。法は真理であるから、一た…

童話「せんがいさん」 やおやさんになったせんがいさん

童話「せんがいさん」 吉永光治作 やおやさんになったせんがいさん むかし はかたに せんがいさんと いう おぼうさんが いました。 とても えらい おぼうさんで いろいろと おもしろい おはなしが あります。 あるとしのこと はかたに コロリンという びょう…

精神力・志向力・人間力

『精神力・志向力・人間力』 いよいよ精神力が問われる時代だ 物の世界で動くだけでは足りない 人の心の対応が評価される時代になってきた いよいよ志向力が問われる時代だ 目標を達成するだけでは足りない 人の志向性が評価される時代になってきた いよいよ…

三宝法典 第二部 第二六項 業と罰

業と罰 時に世尊、ラージャガハをはなれてナーランダーにおもむき、パーバーリカのアンバ林に入りたまえり。ナータプッタは多くの弟子をともないてこの地にとどまり、その弟子の長苦行は村に托鉢してのち、林に世尊を訪うてかたわらに坐せり。 「長苦行よ、…

釈尊仏教の目指すもの(上)

浄福 第32号 1976年4月1日刊 釈尊仏教の目指すもの(上) 田辺聖恵 無念無想が目的ではない 「たゞ坐る」「たゞお念仏」ということが云われる。それは仏教の教え(人生観・仏陀観)をいろいろとへめぐり、ついに己の内面にしっかりと定着させたあげ…

童話「せんがいさん」 たいこと ふえのおと

童話「せんがいさん」吉永光治作 たいこと ふえのおと むかし はかたに せんがいさんと いう おぼうさんが いました。 とても、えの じょうずな おぼうさんで おもしろい おはなしが あります。 「せんがいおしょうに あわせたい ぼうず が きておる すぐに …

幸福

『幸福』 人は幸福というものが有ると思うが それはひっくるめた言葉にすぎない 中身が無い幸福などは無いからだ どの様な状態だから満足という 何が出来るから満足するという 具体的な中身が大切なのだ しゃれて今日風に言えば ビ−イング・ドゥ−イングとい…

三宝法典 第二部 第二五項 三宝経

三宝経 「ここにつどえる鬼神ら、地上のもの、空中のもの、一切の鬼神ら、歓喜すべし。 わが説くところ熱心に聞け。わが教えを聞きに来たれるゆえに、よくこのわれに耳かたむけよ。夜にも昼にも、供養をささぐる人々に、慈悲の心を向けるべし。心してかれら…

仏教の最終目的と理想 (下)

浄福 第29号 1976年1月1日刊 仏教の最終目的と理想 田辺聖恵 そこで釈尊は次善のものとして幸福法をまず教えられる。それが「次第説」である。しかしこゝではこれを略す。ともかく個人目的すらなかなか持とうとしない現実の上に人間の理想は考えられ…

童話「せんがいさん」 まるいたまごも きりよでしかく

童話「せんがいさん」 吉永光治作 まるいたまごも きりよでしかく むかし はかたに せんがいさんと いう おぼうさんが いました とても えらい おぼうさんで、いろいろと おもしろい おはなしが あります。 「むぎごはんなどたべられるものか」 おさむらいは…

三宝法典 第二部 第二四項 在家の信と知恵

在家の信と知恵 時にアナータピンディカ長者は世尊のみもとに参り、礼拝なして一方に坐せり。世尊はかれに法を説きたまえり。 「在家者よ、聖なる弟子にして、五つの恐れをやめ、四つの浄信を成就し、知恵をもって聖なる真理をよく観じ、それに通達せば、も…

人生パタ−ン

『人生パタ−ン』 小さな予想小さな予定で 毎日を繰り返えしてゆく 知っている歌を歌うように その中に物足らなさを感じるか その中に十分な喜びを感じるか 人によって時によって違うもの 無意味さには堪えられないが これはという意義も見出せない それが人…

仏教の最終目的と理想 (上)

浄福 第29号 1976年1月1日刊 成仏法 (妙法蓮華経譬諭品第三) 「シャリホツよ、おんみ未来世において、無量の時をすぎて、千万億あまりの仏を供養し、正法を奉持し、ボサッの実行道をそなえ、まさに成仏すべし」 仏教の最終目的と理想 田辺聖恵 妙…

童話「せんがいさん」 きょうは るす

童話「せんがいさん」 吉永光治作 きょうは るす むかし はかたに せんがいさんと いう おぼうさんが いました。 とても えらい おぼうさんで、いろいろと おもしろい おはなしが あります。 せんがいさんの ところへ いつも おさむらい おひゃくしょう おば…

三宝法典 第二部 第二三項 妻の導き

妻の導き サーバッティーに、サーリプッタ、モッガラーナ二大弟子の信者あり。その娘、信心あつく純真にして清らかなる心を持ち、三宝に帰依し、賢く善く行い、布施その他の善行を楽しみとせり。向じくサーバッティーに素性同じからざる異教の信者あり。この…

納得して活力

『納得して活力』 納得がゆく 得心をする そこから活力が湧いてくる 何とかなるさ式ではどうも 人間の目が前面にあるのは 前方を見定めるという事だ それによって判断し納得する 理知の目を曇らせない為には 動揺しやすい常に心を静める そうした自己管理が…

三つの幸福 そのニ

浄福 第23号 1975年7月1日刊 幸福!浄福!聖福 田辺聖恵 仏教は欲を捨てよと云うが、欲はかんたんに捨てられるものではない。第一欲を捨てたら、人類の進歩はなくなってしまうし、人類そのものが存在しなくなると云う人が多い。 仏教は、欲の満足と…

努力→実力

『努力→実力』 人知れぬ努力に努力が必要だが それも確かな目的があっての事だ 努力する事で目的はより確かになる 努力は自分に強いる面があるが その努力が習慣になってくると 努力する事自体が喜びになる 努力の面白さは蓄積にある 決して消えはしない蓄積…

三宝法典 第二部 第ニニ項 信女カーリゴーダー

信女カーリゴーダー ブッダ世尊、時にシャカ国、カピラ城外のニグローダ林にとどまりたまえり。ある朝、世尊は下衣をつけ、鉢と衣とを持ちて信女カーリゴーダーの宅にゆかれ、用意の座につきたまえり。 信女カーリゴーダーは、世尊のみもとにまいり、礼拝し…

三つの幸福 その一

浄福 第23号 1975年7月1日刊 三つの幸福 田辺聖恵 誰でもまことの幸福をもし得られるならほしいと思うであろう。そして、どうしたら得られるだろうかと考える。だから若い時にうんと苦労して働いておけば、年をとってから楽が出来ると考える。 お金…

フッ切り

『フッ切り』 誰しもフッと弱気になることがある そんな時には仕事にも力が入らない ちょっとしたウツの状態という訳だ 晴天の時の方が誰でも気持ちがいい だが考えてみれば頼りない話である 天気に左右されるような気持ちでは そこが日本人のデリケ−トさな…

三宝法典 第二部 第二一項 一夜賢者

一夜賢者 時に世尊、サーバッティーの祇園精舎にとどまりたまい、ビクらに法を説きたまえり。 「過去を追わざれ、過ぎ去れるはすでに捨てられ、未来は未だ来たらず。その場その場にて、現在の法、ものごとを観察し、ゆらぐことなく、動ずることなく、よく知…

先祖供養の意味

浄福 第10号 1973年12月8日刊 「先祖供養の意味」 習慣だけではない 宗教を思想としてのみとらえる人、自己の救われ悟りのみとして求める人、いろいろあるが、先祖供養の心理的な説明がなされていないために、単に習慣か気安めとして軽視し、あるい…

宿業

浄福 第17号 1974年12月8日刊 「業と宿業」 田辺聖恵 宿業-とは過去世につくった善悪の業因(新・仏教辞典・中村元)のことで、現在の果がどうしてこうなったかということの説明に考えられるもの。しかしコトバの感じから宿命論のようにとり、未来…

三宝法典 第二部 第二〇項 在家信者

在家信者 時にマハーナーマ、世尊に問いたてまつれり。 「世尊よ、いかなる範囲にて、仏教の信者と言い得るや。」 「マハーナーマよ、ブッダとダンマとサンガに帰依なす、これのみにて信者なり。」 「世尊よ、信者の規律と信仰と布施と知恵とはいかなる範囲…

自分なりの人生

『自分なりの人生』 人生を量で生きるか質で生きるか 自分の人生を決めるのは自分だ 生き方の誇りはそこから生まれる 様々な人生学習をするという事は 自分なりの信条を形成する事だ 生き方の確かさはそこから生まれる 低速で行くかハイスピ−ドで行くか コン…

業報論

浄福 第17号 1974年12月8日刊 「業と宿業」 田辺聖恵 (A・K様)「それはあなたの業です。だからこうしなさい」と言われ、あきらめて背負っていく。なんだかあわれで悲しい気がする。私は少し違うように思うのです。(意味のとり違えかも知れませ…

達成の喜び状態をイメージせよ

達成の喜び状態をイメージせよ イメージとは映像・心像・印象などと云われ、具体像が人の心に画像的に印象づけられたものである。金魚をあのシツポの長いゆらゆらした形として心に思い浮かべれば、それがイメージである。金魚は赤くゆらゆらと泳ぐ魚である、…

一二三

『一二三』 元気第一 そこから自発も根気も出てくる そこから瞬発も飛躍も出てくる 人間関係第二 仕事も生活もすべて人間関係 微笑みを絶やさない人間関係 経済第三 それは誇りある生き方の基礎 それは理想目的達成の推進力 [一二三]−誰にでも愛唱歌がある…

三宝法典 第二部 第一九項 死後の行方

死後の行方 時に世尊、しばらく城外のニグローダ林にとどまりたまい、マハーナーマは日々世尊のみもとにまいりたり。 「世尊、いまカピラ城は栄えて、人馬の混雑はなはだし。これがため、われは世尊や、心を修めるビクらに供養して、夕方帰城の中途、狂える…