童話「せんがいさん」 きくと ひとのいのち

童話「せんがいさん」 吉永光治作

  きくと ひとのいのち

むかし はかたに せんがいさんという えらい おぼうさんが いました。

とても えらい おぼうさんで いろいろと おもしろい おはなしが あります。

くろだの とのさまは きくのはなが だいすきでした。 たくさんの きくを くにじゅうから あつめて たのしんでいました。

あるひ いぬが きくのはなの なかに とびこんで とのさまの たいせつにしていた きくのえだを おってしまいました。
 
とのさまは かんかんに おこって にわしを てうちに するといいました。
 
せんがいさんは そのはなしを きいて

「わずかな くさきのことで ひとを てうちにするとは なんと ばかな とのさまか よし わしに よいほうほうが ある」

と いって そのよる おしろに でかけました。
 
そして とのさまが たいせつに している きくのはなを みんな かまで きって しまいました。
 
あくるひ せんがいさんは ようすを みに おしろを たずねました。
 
おしろのなかは おおさわざです。

とのさまは にわに なんにんかの にわしを よんで いまにも てうちに しよう  と していました。

そのとき せんがいさんは とのさまのまえに たって くびを ぬっと さしだして

「このきくを かったのは わしじゃ おてうち なさるなら わしを しなされ」といいました。

「どうして きくのはなを かりとったのか」 と とのさまは たづねました。
 
せんがいさんは にわに おちていた きくのはなを ひろいあげて はなとじぶんとを みくらべながら いいました。
 
「どっちの いのちが たいせつでござるかな」
 
とのさまは しばらく かんがえて いましたが 「わしが わるかった」と あやまりました。
 
にわしは なんの おとがめも ありませんでした。

【メモ】仙厓が博多聖福寺に来る以前、生まれ故郷の美濃(岐阜県)の清泰寺にいた時、「よかろうと思う家老は悪かろう、もとの家老がやはりよかろう」と藩政を批判して追放され、その時に「傘(からかさ)を広げてみれば天が下、たとえ降るともみの(美濃藩のこと)はたのもじ」と落首を残して去ったという逸話がある。だが、これは作り話で真相は、清泰寺の住職に推されたのに、檀家総代阿村甚右衛門から「いかに偉くなって帰ってきても、二本差しの武士が、貧農の子の仙厓を住職にして頭が下げられるか」と反対されて実現せず、美濃を去ったものらしい。(三宅酒壺洞「博多と仙厓」より」

よしなが・みつはる氏は1937年生まれ。日本人類言語学会会員 童謡詩人、童話作家。講演活動中。福岡市在住。