三宝法典 第二部 第三二項 ラーフラと念息

ラーフラと念息

時に世尊、衣をつけ鉢を取りでサーバッティー城に托鉢したまい、尊者ラーフラはそのみ後ろに従えり。世尊かえりみたもうて仰せられたり。
  
ラーフラよ、すべてのもの及びものごとに対し、わがものにあらず、われにあらず、またわが本体にもあらずと、正しき知恵に上りで実のごとく知るべきなり。かくのごとく物・感受・想い・意思・心についてわが本体はなしと知るべきなり。」
 
これを聞きて尊者ラーフラは思えり。

「世尊は親しくわれを教えたまえり。托鉢を止めて行ずべし。」と。

それより帰りて木のもとにいたり、身体を正し、念を前面において坐せり。これを見て尊者サーリプッタは近づきて言えり。

ラーフラよ、念息を修めよ。しばしば念息を行えば大いなる利益あり。」と。

夕ぐれに心の統一より立ちて尊者ラーフラは、世尊のみもとに参り、念息を修むる法と
その利益を問いたてまつれり。

ラーフラよ、ここに四大あり。肉体の中にある堅きもの歯、皮、肉、内臓等のものと、外の堅きものを合わせたるを地大と言うなり。また肉体の中にある水分、血、汗、涙等の内なるものと外なるものを合わせたるを水大と言うなり。
 
また肉体の火熱の性、熱を起こし、消失せしめ、手足をぬくむる等の内なるものと外なるものを合わせたるを火大と言うなり。また肉体の中の風気の性、入る息、出る息等の内なるものと外なるものを合わせたるを風大と言うなり。
 
これら地水火風の四大をわがものにあらず、わが本体にあらずと正しき知恵によりて実のごとく知りて、これをいとうなれば心は四大をはなるるなり。」

ラーフラよ、四大平等の行を修めよ。地平等の行を修むれば、好き嫌いの心にとらえらるることなし。大地は清浄なるものを置くも不浄なるものを置くもいとわざるがごとし。」

ラーフラよ、慈悲喜捨の行を修めよ。慈を修むれば怒りを滅す。悲を修むれば害意を滅す。喜を修むれば不満を滅す。捨を修むれば心の動揺を滅するなり。
 
また不浄の想いを修むればむさぼりを滅し、無常の想いを修むれば慢心を滅するなり。
 
ラーフラよ、念息を修めよ。森や木の下、人なき部屋にて身を正し、念を前面において坐し、長く息を吸える時には長く息を吸うを知り、短く吸える時には短く吸うを知り、息を出すにもかくのごとく正しく念じ、全身を自覚し、全身をしずめて息を吸い、かつ吐くべしと訓練し、喜びを感じつつ、息を吸いかつ吐くべし。
 
また心にとらわれなく、あるいは無常を観じ、解脱を観じて、息を吸いかつ吐くべしと訓練すべし。かくのごとく、念息をくりかえし行うなれば大いなる利益あり。最後の呼吸は、無意識の中にはあらず、意識の中に消滅なすなり。」
 
尊者ラーフラは、このみ教えを歓喜して信受せり。

南伝一〇巻二一四頁中部六二教誡ラーフラ大経
四大(地水火風性のもの)
四無量心(慈-友愛の心・悲-他の苦しみに対する同情・喜-他者を幸福にする喜び・捨-差別心を捨てる平等心~楽を与え苦を抜きを喜び財を施す)

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