三宝法典 第二部 第四〇項 正導せられたるビク衆

正導せられたるビク衆

時に世尊、チャンパー城のガッガラー蓮池のほとりに、あまたのビク衆と共にとどまりたまえり。

象の御者ペッサと修行者カンダラカは、世尊のみもとに参り、カンダラカはビク衆を見廻して申し上げたり。

「尊者ゴータマよ、まことにこはまれなり。尊者ゴータマによりてこのビク衆は、実によく正導せられたり。過去の正等覚者も、おんみが今ここにビク衆を正導なすがごとく、すぐれたる正導をなせりや。また未来にもかくのごとくなるや。」

「カンダカよ、まことにしかり。過去、未来の正等覚者も、わが今なすがごとき正導をなすなり。カンダカよ、このビク衆の中には、アラハンにして煩悩をほろぼし、修行をなしとげ、重荷をおろし、真の目的に到達し、存在の原因を断ち、正智を得て、解脱せるビクあり。
 
またこのビク衆の中には、なお学ぶべき所ありて、規律を守り修行し、賢者なるビクあり。かれらは四念所の法の中に善く住めり。その四念所とは熱心に身を観察し、念を持続して、世間のむさぼりと憂れいを除き、熱心に受を観察し、心を観察し、法なる物を観察し、念を持続して世間のむさぼりと憂れいを除くことなり。」
 
象の御者ペッサはこれを聞きて申し上げたり。
  
「世尊、これまことに、いまだかつてなきすぐれたる法なり。世尊は衆生を清浄ならしめんがため、憂れい悲しみ、苦悩より出ださんがため、真理に到達せしめんがため、ニバーナを得さしめんがために、かくのごとくよく示されたり。

世尊、実にわれら在家の者も、たえずこの四念所に心をとどめて、世間のむさぼりと憂れいを除かん。世尊は密林のごとき人間の性質と獣の性質を知り、利益と不利益を知りたもう。われ今、象を思うに、城への行き来の間によこしまの性質をあらわすなり。されど召使いらの心と口と行いは皆、相違して知りがたし。」
  
「ペッサよ、まことに人間の性質は密林のごとく解しがたく、獣の性質は知りやすし。この世に四種の人あり。一はみずからを苦しむる人、二は他を苦しむる人。三はみずからを苦しめ他をも苦しむる人、四はみずからを苦しめず他をも苦しめずして、現在にむさぼりなく、ニバーナに達し、清涼にして楽を受け、最高者となる。
 
ペッサよ、これらの四種の人のうち、いずれがおんみの心にかなうや。」
  
「第一、第二、第三の人はわが心にかなわず、第四の人がわが心にかなえり。」
  
「何ゆえに三種の人は、おんみの心にかなわざるや。」
  
「第一の人は楽を求め苦をいといて、みずからを苦しめさいなむなり。第二の人は楽を求め、苦をいといて他を苦しめさいなむなり。第三の人は楽を求め苦をいといて、みずからと他を苦しめさいなむなり。このゆえにすべてわが心にかなわざるなり。第四の人は自他を苦しめざるがゆえにわが心にかなえり。
世尊、なすべき用、多ければ、われらはこれにて去らん。」
 
とかれらはみ教えを喜びて座より立ち、礼拝なし右にめぐりて去れり。
 
世尊はビクらをかえりみて仰せられたり。
  
「ペッサは賢し。もしわれ、この四種の人を詳しく説き明かすまでここに坐すなれば、かれはさらに大いなる利益を得たるならん。されど今までにてすでに大いなる利益を得たるなり。
 
ビクらよ、みずからを苦しむる人とは、あやまれる食の規律を守り、ぼろを身にまとい、肉体の苦行をなすものなり。他を苦しむる人とは、生物を殺すを業とし、また人を苦しむるざん酷なる業をなすものなり。みずからを苦しめ、他をも苦しむる人とは、王などが出家の真似をなし、鹿の皮をまとい、油を身にぬり、鹿の角をもって背をこそぎ、王妃や王師らをともないて新しき会堂に入り、空地に横たわり、子牛の乳を奪いてみずから飲み、王妃らに与え、牛や羊のいけにえをささげ、召使いらに恐れをもって働かしむるなり。
 
みずからを苦しめず、他をも苦しめずして、現在にむさぼりなくニバーナに達し、清涼にして楽を受け、最高者となりたるものとはかくのごとし。

ビクらよ、ここに如来は、応供・正等覚者・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・ブッダ世尊として世に出でたり。かれは天と魔と人間とをそなえたる世界をみずから知りて説法す。初めもよく、中もよく、終わりもよき、意義と文句をそなえたる法を説き、完全なる清き行を説く。

信男信女その他の法を聞く者、如来に対して信をえ、家を捨てて出家者となる。殺生をせず、一切の生物をあわれみ、盗みをせず、みだらならず、いつわりを言わず、真実を語り、和合を乱す言葉を言わず、和合を楽しみ、和合せしむる言葉を語る。荒らあらしき言葉を捨て、柔和にして心楽しませる、やさしき好ましき言葉を語る。たわむれの言葉をはなれ、語るべき時に語り、事実を説き、法と規律とを説き、意義と利益をともなうがごとく語る。
 
一日一食にして時ならざるは食せず、歌踊りに近づかず、飾りをさけ、高き床に寝ず、金銀を受けず、その他の正しき規律を守り、五官の戸口を守り、姿形に執着せず、行くにも坐るにも寝るにもつねに正念にして、遠ざかりの座を好み、むさぼり、怒り、眠り、思い上がり、疑りの五つのふたをはなれ、心の統一の第一段より第四段へと進み、心清らかにして宿命を知り、天眼を得て、人の善悪の業にしたがいてその死後、生ずる所を知り、苦・集・滅・道の四聖諦によりて煩悩のつきたるを知り、『わが生はつき、解脱せり。われ清き行はたしたり。なすべきことはなし終えり。これ最後の生、この後に、ふたたび生を受くるなし。』と知る人なり。」
 
ビクらはこのみ教えを歓喜して信受せり。


南伝一〇巻八五頁中部五一カンダラカ経
四念所(身は不浄・受は苦・心は無常・法は無我)
如来の十号
五戒(不殺生・不盗・不淫・不妄語・不飲酒)~在家は不邪淫
八戒
五蓋(貪り・怒り・沈み眠り・上つき思い上がり・疑り)
四禅
三明
四聖諦

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