三宝法典 第二部 第三八項 世の初め

 世の初め

時にサーバッテイーの東園鹿子母講堂において、ワーセッタとバラドバージャはビクにならんがため、四ヵ月の別住をなせり。
 
ある日世尊、夕ぐれに静思より立ち出でて堂をおり、空き地を念じ歩みなしたまえり。ワーセッタこれを見たてまつり、バラドバージヤをうながし、世尊のみもとにまいり、礼拝なしてみ後ろにしたがえり。世尊はかれらをかえりみられて仰せられたり。

「ワーセッタよ、バラモンの生まれと系統においてすぐれたるおんみらはシャモンとなれり。バラモンの人々より非難されののしられることなきや。」

「世尊、かれらは、われらを非難しののしるなり。バラモンはすぐれたる階級にして他よりすぐれたり。バラモンのみ肌色白く、純粋にしてボン天の口より生まれたる子にして、ボン天の相続者なり。おんみらはこのすぐれたる階級に生まれつつ、何ゆえにかのボン天の足より生まれし、劣れる禿頭のシャモンの階級に近づき親しむやと。」

「ワーセッタよ、バラモン達はいにしえの事実を忘れてかくのごとく言えるなり。バラモン階級の女も、他の階級の女のごとく月のものあり、はらみて子を産むなり。かれらも母より生まれるものにして、ボン天の口より生まれ、ボン天の相続者、すぐれたるものと言うは、他をそしるものにして、そはいつわり、不徳を生み出すものなり。
 
ワーセッタよ、セッテーリ・バラモン・ビーサ・スードラの四階級のうち、セッテーリが殺生をなし、盗みをなし、みだらをなし、いつわり・悪口・不和語・飾り言葉をなし、むさぼりと怒りと邪見をいだくとせば、これらはその人にとりて罪にして、罪の報いをもたらすものなり。バラモン・ビーサ・スードラともにかくのごとし。
 
またセッテーりがこれらの十悪をはなれて正見をいだくとせば、これらはその人にとりて善にして、善の報いをもたらすものなり。バラモン・ビーサ・スードラともにかくのごとし。バラモン階級はそのすぐれるをほこるも根拠なし。
 
いかなる階級のものも出家なして道を修め、煩悩をほろぼし、清浄の行をなし終わり、覚りを得るなれば、人々はかれを最上の人と呼ぶなり。法はこの現在にも未来にも出生よりすぐれたるなり。
 
ワーセッタよ、コーサラのパセーナディ王は、王に従属せるシャカ族より出家せるゴータマに対し、如来に従い仕え、厚く礼をなして『シャモン・ゴータマは生まれ正しく、われは生まれ悪しく、シャモン・ゴータマは力ありて端正なり。われは力なくしてみにくくあり。』と言えり。かれは法を尊び法を神聖視するがゆえなり。法はこの現在にも未来にも出生よりすぐれたるなり。
 
ワーセッタよ、おんみらビクは種々の階級より出家なしたるものなるも『おんみはいかなる者なるや。』と問われなば『シャカ族の子孫なる世尊に従えるシャモンなり。』と答ゆべし。如来に信じ従い、心固くして動かざるものは、シャモンにあれバラモンにあれ、いかなる世界においてもかくのごとく語る資格あるなり。『われは世尊の子なり、その口より生じたるなり。法より生まれ法の相続者なり。』と。何ゆえなれば法の身というは如来の名なればなり。
 
ワーセッタよ、はてしなく長き間、この世界は転廻なすなり。この世界が転廻なす時、多くの生物は光音天に生まれ、心よりなり、喜びを食としてみずから輝くなり。この世界が転廻なす時、多くの生物は光音天よりこの世界に降り来たるなり。心よりなり、喜びを食とし、みずから輝きて空中を飛べり。
 
その時にこの世界はただの水のみにして闇みなり。月も日も星も輝かず、夜も昼もなく、日も月も年もなし。女と男の区別もなくして万物はただ万物たるのみなり。

時を経てその水の表面に甘露地が浮かべり。たぎれる牛乳に生ぜる皮のごとく、香り高くしてダイゴのごとき色をなし、蜂蜜のごとき甘みあり。
 
生物のうち、欲ふかき生まれつきのものが指につけて、この甘露地を味わいて執着を起こす。人々も皆これにならいて地味を味わい、はては手をもってすくい食せり。これより生物の体の光明消え去り、月と日と星あらわれ出で、夜と昼が分かれ、日と月と年が定まれり。かくてこの世界が形をなせり。
 
かの生物はいと長き間住して、地味を食せるにしたがい、体の重みを増し、すがた変わりて、うるわしさとみにくさが生ぜり。うるわしきものは、みにくきものに対しておごれり。この世界におごり現れて甘露地は消え失せり。人々は甘露を求めて悲しみ泣けり。
 
ワーセッタよ、甘露地消え失せて、さながら蛇の皮のごとき地の皮あらわれ、地の皮は消えてつる草あらわれ、つる草消えて米生じ、次第にむさぼりが人々の心を支配なすにいたれり。米は夕に実をつみなば朝にふたたび実り、朝につみなば夕に実りたるも、これを食せる人々、重みを増し、うるわしさとみにくさがきわだちて男女の別あらわれ、性の欲生ずるにいたれり。
 
初め男女接するは不浄として嫌われたるも、さきの不法は今の法となりて夫婦の間柄生じ、家をなすにいたれり。
 
人々のうち、怠くるもの、朝と夕に米つみとるを労とし、夕の分を朝につみ、二日三日分と食を一度につみ集むるがごとくなりたり。かくて米田は荒れて、わずかの米のみとなれり。人々これを歎きて、さかいを定め、分割して所有をなしたり。欲深きもの、他人の所有せるをつみとり、ここに盗み現われ非難が生じ、いつわり現れ、杖をもてる者あらわれたり。
 
人々これを歎きて、一人の力ある正しき人を選び、盗みといつわりに対し、正しく罰する権利を与えたり。選ばれたる人、罰すべきを罰し、人々はかれに米の分け前をおさめたり。かれに田を保護なしたればセッテーリ、法によりて他人を喜ばしめたれば王の名が生ぜり。
 
ワーセッタよ、人々のうちある者は、次第に悪法の現れ来たるを歎きて悪法をのぞかんとし、森の中に木の葉の小屋をいとなみ、火をしりぞけ、食物をたくわえず、静かに瞑想をなせり。またある者は小屋に入らず、町の近くに住みて書を作れり。かくて悪法をのぞかんとなすバラモン・瞑想者・朗吟者の名が生ぜり。
 
またある者は男女ともに家をいとなみ、商業をなしてビーサの名が生ぜり。またある者は人々の嫌えるいやしき行いをなしてスードラの名が生ぜり。四つの階級はかくのごとくして生ぜり。この四階級より、みずからの習慣を好まずして出家なすものあり、これシャモンなり。
 
ワーセッタよ、四階級にして心と身体と口に悪をなし、邪見をいだけば死して地獄におつるなり。また善をなして正見をいだけば死して天界に生ずるなり。また悪をしずめ、七つの覚りにいたる法を学びなば、必ずや覚りに入るなり。
 
この階級より出家してビクとなり、煩悩をほろぼし、清浄の行をなし終え、罪の重荷をおろし、覚りを開けるアラハンとなるなれば、人々のうち最上のものと言わるるなり。こは法にして不法にあらず。何ゆえなれば法は現在にも未来にも出生よりもすぐれたるがゆえなり。」
 
ワーセッタとバラドバーゾヤは世尊のみ教えを喜べり。


南伝八巻九七頁
二七起世因本経
アッガンニャ・スッタンタ
七覚支(念・択法・精進・喜・軽安・定・捨の七つの覚支)

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