原始仏教

 [原始仏教]−人間の筋道を根拠にして自由と自立、ないし中身のある和合が出来る生き方は容易に見付かりません。人間の成り立ち筋道は分かりにくいものです。すべての人間学がさがしています。
 
人間には理性と感性がありますが、従来の生き方論は感性に訴える方式でいかにも日本人向きではありますが、これは年中かりたててゆかねばならず、いつまでも自立になりにくいという点があります。それは人間の尊厳の根拠たる理性を無視しているからです。つまり自己軽視です。落ち込みは他からの軽視によるものでこれは感性によるものです。自己理性に立てば他からの軽視に左右される事は少なくなります。挫折回復の障害は自尊心の欠如です。自尊心とは自己の存在価値を知る事と言えましょう。それは理性によってなされます。何故ならば価値判断は理性によるものだかです。
 
現代人は教育によって随分と理性的になってきました。しかし命は尊いとだけで何故かという人間の存在価値を教えられていないし、自己判断が出来ない為に、常に何かに依存しようとします。ここが挫折しやすいいわば人生のネックとなっているのですね。
 
原始仏教は自然界及び人間すべてが、相関しながら変化する存在であることを真理筋道として教えます。それは単なる依存関係ではなく相互互恵的であります。また変化する本質を持つという事はどの様にも変えられる可能性があるという事で、人間にとって誰にとっても大きな希望光明となるものです。この様な相関変化(縁起・空)を根本真理とすればその実際的な互恵性は価値真理となります。
 
この根本真理から人間にとっての価値真理を導き出されたのが歴史上実在した釈尊ですが、この真理によって自己を解決し、この真理を実行して生きられたのが人間ブッダつまり理想者です。そこに人間の尊厳や自立和合の極を見る事が出来ます。こうした原始仏教を理解する事で特別信者になったりする必要もなく、自分の生き方にプラスする道があるのは何と素晴らしい事でしょう。
 
求めるものがあればその求めるものを施し与えてゆく、すると必ず得られる。他を喜ばせれば自分にも喜びがくる。これが互恵性の実際であり筋道です。この常識的な事をただ単に常識とせず、筋道真理と理解すればその実行に力がこもります。その実行の結果は必然です。このいわば単純な真理実行によって自他が「共に生かし生かされ」となりたいものです。そこに幸福と充実があります。そこに人間としての存在価値があり、人間としての熟成もあるわけです。その様に生きたいものですね。 田辺聖恵

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