仏教徒の道徳生活 (上)出家への誤解

浄福 第47号 1977年7月1日刊
仏教徒の道徳生活
                                  田辺聖恵
 出家への誤解
仏教に限らず、真の宗教は、人間のよりよき生き方を教えるものである。
 
仏教とは、仏陀(ブッター真理を正しく悟り、人々にその真理を正導なさる慈悲の行動生活をなさる方)の教えであり、又、弟子信者もいつかはその師仏のように、ブッダになって、ブッダの行動生活をするというブッダになる道の教えとも云われる。
 
仏陀が教えて下さる-とは、仏陀というものが『生きとし生ける者の中で最高である』ということを現わす。釈尊は、人間としての最高の生き方、まことに理想をそのまゝに生きぬかれたのである。
 
二十九才で出家をなさってから、六年にして真理を悟り、その三十五才から後の四十五年間、たゞたゞ人々にその真理を教え導く、(救う)という生活行動をなさったのである。
 
真に悟れば(大智)→必らず人に正導したくなる(慈悲心と行動)という、智慧と慈悲、この二つが揃った時に、仏陀と云われる。ブッダをたゞたゞ悟った人とすると、救い導きが無いことになり、従って覚りそのものが分らなくなる。又仏けは慈悲が本体といった具合いに救いのみを強調すると、智慧のない仏けとなってしまう。
 
大学を卒業し、教師となる知識は充分に持っていても、実際に教えるという生活行動をしなければ教師とは云われないのと同じだ。
 
生活行動をぬきにしたブッダというものは存在しない。ところが釈尊が亡くなられて後、五百年もすると、仏陀というものを理想化するあまり、絶対・広大・無限といった哲学的内容を強調し、ブッダの生活行動をぬいてしまった。このように抽象的存在として考えられるようになると、その抽象仏への信仰も又、抽象的なものとならざるを得ない。そしてついに信心のあり方のみが強調されて、生活が欠けてしまう信仰が出来上る。
 
これが日本仏教のおち入り易い実体であった。もっともそれは無理もないことである。日本の歴史では、幕府による封建体制の期間が長く、その間は。封建道徳として、儒教による生活行動が是とされていた。従って、仏教による実生活は棚上げにされ、たゞ信仰としての精神内容のみがかろう自て許されたというのだから、仏教信者としての実生活が無かったのは当然である。
 
信者は観念的に信仰し、生活は儒教道徳によったのであるから、心と身体は分裂し、統一ある生活とはほど遠いものであり、それに疑問も矛盾も感じなかったのである。
 
幕府権力の政治体制は、その体制批判や行動をしない範囲でのみ仏教の存在が許されていたのである。公認されないと宗教活動も出来なかったというのでは、丁度薬の販売みたいなものである。
 
公認とは、体制批判をしないというタイコ持ち性を認められるということなのだから、自分の行動や仏教思想の応用を自ら限定してしまう。これは宗教の自殺的枠はめを自分に課することである。
 
従って、このように自己限定した存在は、つねに日本の実践家達から非難されてきた。中江藤樹二宮尊徳然り、近くは明治維新の原動力となった吉田松陰も『仏教に迷わず』と教訓している。
 
後期仏教によって、仏教の生活行動面が取除かれ、さらに、幕府体制によって、仏教生活が限定されてしまえば、生活のないせいぜい寺院信仰となる。本尊―弟子―信者、この三者とも抽象的いわばこの実生活におさらばの逃避信仰とならざるを得ない。

現実に、一遍聖人によってすゝめられた念仏者が、六七人も入水自殺をして死後の往生をはかった。生活の全否定である。しかし、それは後継者達によって『不往生』として、往生の取消しが宣言される。何とも奇妙な話ではないか。単なる勇み足どころでなく、死をかけた信仰がムダ死だったというのだからやり切れない。仏教が人間の生き方として捉えられていない証拠である。
 
釈尊は、今まさに結婚式をあげようとしている異母弟ナンダを出家させ、当時十二三才たった実子ラーフラをも出家させておられる。(三宝聖典第一部第三四項 ナンダとラーフラの出家参照)これは生活そのものを否定したからではない。『覚りの宝、世にこえたる遺産の相続者たらしめん』ということは、人間として最高の充実した悟りの生活、積極的な価値実現の生活を与えてやろうという、最高最大の慈悲心によるのである。


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