学習・体験・生活化・正導

三宝 第155号

「学習・体験・生活化・正導」

いわゆる信仰と言うと、何かが神秘的な力が自分を守ってくれる事を信じる、といったふうに思われるのではなかろうか。仏教もその様なものだと思うと、今日の日本のような宗教無関心が生じてきた理由が分かるようだ。
 
徳川時代の人々の生活・仕事の原理は儒教であった。孔子様も論語の中にあるように「怪・力・乱・神」を語らずとしておられる。

その様な不確かなものや神秘をあてにせず、修養と勤勉努力をせよ、というのがメインーテーマである。農耕民族としては努力さえすれば、その中何とかなるという、まことにピッタリの教え。
 
それが明治になって西洋に追いつけ追い越せ、農業が機械生産になっても勤勉努力残業と、行動原理を変える必要がなく、いつの間にか仕事で修養と、修養も宗教も皆仕事の手段となる。そこに敗戦という、神風は吹かなかったという事実が日本人を決定してゆく。
 
さて暮らしは豊かになったから、今度は心を豊かにというわけだが、これがどうもよく分からない。お正月は外国で、カルチュア・センターで万葉を、家具は手間ヒマかけた手造りで~とどこまでが物の豊かさどこからが心の豊かさか、どうも判然としない。
 
まことに不思議に思う事だが、ケサ衣をつけてテレビで仏像彫刻を教える方が登場し、今度は同じくケサ掛けの方が墨絵指導をされる。お茶や活け花はずっと昔からだが、その中ケサ掛けでプロレスを指導する方が現われるかも知れない。キックボクシングの解説を楽しくやっておられたお坊さんがいた。この有名な方は競輪の解説、小説書きとまことに豊かな方であったが、その節はケサ衣を着用ではなかった。ベレー帽を冠ぶられるあたり、仲々の見識である。
 
真の仏教者釈尊やその直弟子たちが着ておられたものは、最低の修道日常服三枚だけであって、儀式用葬式用などと使いわけをしておられたのではない。今日でも南方仏教ではそうした初心が守られているので、日本だから出来ないという理由はないはずだ。
 
衣のことをあげつらう様であるが、そこに生活態度、修行心得が現われてくると思われるからである。インドで白衣を修行者は着ないというのは、在家信者よりも豊かな着物を着てはいけない、修行者の根本精神からの事である。道元禅師は「貧道を習え」と言われたそうだが、権力者に迎合し、豊かな支援をあてにする様になったら仏教でなくなると確信しておられたからであろう。親鸞聖人にして日蓮上人にしても豊かな服装をしておられたとは思えない。
 
心の豊かさは物の貧しさと比例すると、こと仏教に関しては言えるような気がしてならないのは、私だけであろうか。 田辺聖恵


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