仏教徒の道徳生活 (下)規律ある生活

浄福 第47号 1977年7月1日刊
仏教徒の道徳生活
                                   田辺聖恵
日本仏教の出家は、出世の望みがないからとか、逆に宗教界で有名になるためとか、首をはねられるところを出家して世の中にかかわらないことを条件として許されるといったことでなされたことが多い。これでは在家信者への正導といったかかわりが生ずるわけがない。つまり本当の釈尊仏教が行われるということはほとんど絶望だったのである。
 
その総決算的批判が、明治政府による排仏棄釈である。そして敗戦後、観光寺院としてその残骸をさらし、文化遺産だと空威張りをしている。金ピカの衣は、まさに猿踊りか、こけおどしであり、寺院経営という発想は、まさに営業としか云いようがない。
 
一切の打算を超えた世界こそ出家の生活である。出家とは、ボロをまとって真理を求道し、それを大衆に伝達、正導する以外に何も無いのである。勿論葬式作法が必要なのは云うまでもない。たゞしそれは仏教ではないことを承知しての上のことでなければならない。

 規律ある生活
今日の学校教育に多くの人が絶望する。それは「しつけ」の欠陥という生活無視の教育が三十年も行われたことの結果への当然の批判である。
 
個性尊重などという、もつともらしいアメリカ主義が入り込むと、キリスト教国としての道徳基盤をもったものという認識などまるで持たずに、それに飛びついた教師達。そしてそのことでもっともてこずっているのも又、教師達である。
 
一体なぜこのように無規律な教育が行われるようになったのか。
 
それは遠く、仏教上の規律は拒否され、封建道徳によって、学校教育が成立していたから、敗戦と同時にこの、道徳一切を封建的なものとして、たたきつぶすことを教師の使命と錯覚したことによる。
 
シャミ(見習出家者)の十戎の第一『殺生を止める』というこのたった一つを封建道徳と較べてみるだけでも、その発想の違いが分る。
 
先の吉田松陰は、まさに尽忠の烈士であった。彼は、幕府をいさめ、容れられない時には、諌死するのが勤皇だとしている。そして遂に死なねばいさめは出来ないとする。なるほど、生死を超越しての覚悟ではあるが、むしろ死への死に急ぎはなかったろうか。
 
釈尊の直弟子サーリプッタも、自殺に近い病死をした。しかしそれは仏教者としてなすべきことをなし終えた上でのことである。己の死をもって人を動かすということは、まことにはなばなしいが、それは今日のハンガーストトに似ている。それは己の死を手段道具化することであって、仏教であれば禁じられることである。勿論、尽忠の松陰の死を今日の自己欲のためのストと較べることはあやまりではあるが、死生を軽んじては仏教にはならないのは確である。

殺生をしてはいけないということは自殺をしてもいけないのである。往生のために自殺するのも全く非仏教である。武士の道徳には「不殺」 (不戦)という人類最高の道徳旋律(生活行動)が否定される。敵討ちは名誉の最たるものだった。もっとも今日でも、国家法律が裁くという形で敵討ちをやっているのだから・わびしい話だ。
 
仏教が、人間としての「よりよき生き方」を教えるものであるということがはっきりすれば、生活行動にルール規範が設けられるのは当然である。ところが日本仏教にはもう一つ、この規律否定の論理がある。それは戒律形式さえ守れば悟れるというのは、真の精神が伴わないからあやまりであるーというもの。形さえ守ればよいなどというのは確に仏教ではない。
 
しかし又、形のない生活などもないのである。浄土門で戒律など守れない愚かな凡夫が本願によって救われるーということは、救われるという意識信仰の成立と同時に規律は守ろうとしなくても、おのすから守られてくるということなのである。親鸞聖人や法然上人は人殺しや泥棒をしたであろうか。破戒無慙と嘆じたのは、み仏けと己を較べての徹底した自己内観のことであって、酒は飲み、女道楽をするといった日常悪のことではなく、人間としての本質への追求なのである。
 
在家信者であろうが出家修道者であろうが、まず三宝への確かな信が前提であり、その上で最低五つの規律が教導される。殺・盗・淫・うそ・酒飲みの五つ。在家は守った方がよいが、そうだと信ずるだけでもよいとされる。そしてこれらは仏教の目的ではなく、覚という最終目的に進む準備態勢とされる。形から入ろうとあとで形をなすようになろうと、こうした道徳規律を無視して社会には存在し得ないということをこれからは明確にしてゆくべきであろう。


https://blog.with2.net/link.php?958983"/人気ブログランキング