原始仏教講座 第三講 その二

第三講 その二

中道です。これがお釈迦様の仏教の一番中心になるところです。中とは真ん中という意味ですが、これは必ずしも真ん中の意味ではなく、的中、あたっている、正しいという意味なんです。

「もろもろの欲の楽のみ求むるは、いやしき凡夫のなすところ。まことの利益ともなわず。いたずらに身を苦しむる行なすは、賢き人のせぬところ、まことの利益ともなわず。」

この「もろもろの欲の楽のみ求むるは」というのは、要するに人間は幸せになるために生きているんだ、だから幸せになればいいと、でその幸せとは何か、経済的に不自由しない、飲んだり食ったり、旅行に行きたいときには旅行に行くと、ゴルフでも結構というようなのが、欲の楽のみ求むるということですね。

それは卑しき凡夫のなす所。凡夫とは平凡な人間であるということです。それは卑しいと、人間として卑しいと、お前、動物とかわらないじゃないかというわけです。

そういう風であれば、まことの利益ともなわず、まことの利益というのは、人間としての存在価値というものが現れるというのが、まことの利益です。そういう風になりはせんよということです。

というのはお釈迦様の時代に、死んでから先のことまで言っても、しょうがないじゃないか、人間は死んだら仕舞い、だから生きている間に、自分の好きなことをやって、それが人間らしい生き方であるというような一派がおったのです。

現代人でもそういう考えするでしょう。もうどうせ死んだら仕舞いだ、先の事言ってもしょうがない、だからやりたいようにやる、これが人間らしい生き方だ、現代人でも、特に日本人なら言いそうなことでしょう。二千五百年前そういう一派があった。ローカヤーターといいまして順世外道と翻訳されているわけです。

ようするに世の中主義です。人間主義なんです。現在も人間主義でしょ日本は。人間以上のものはまるっきり考えない。世界の事も考えない。日本の経済発展だけを考えているというのであれば、日本主義、人間主義なんですね。それは本当の利益にならないぞ、いつか破綻がくるということです。

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