釈尊の聖言 「聖者」

  釈尊の聖言 「聖者」
 親族を離れ、家を出で、心を知りてその本に至り、偽りなき法を覚るをシャモンと言う。常に二百五十戒を保ち、四つの真の道を行い、向上に志し、清らかにしてアラハンとなる。アラハンは愛欲を断ち、煩悩を滅ぼし覚りを開きたる聖者なり。愛欲を断つとは断たれたる手足が再びその用をなさざるか如きなり。
   「聖者」
 仏教における聖者とは、真理を覚り、真理と一体になったものである。一体になるという事は真理のままに生活する事であって、ただ単に観念的に覚った境地になるといった便宜的なものではない。
 日本では心がとらわれなければ、愛欲生活をしていてもさしつかえないといった風潮が支配的である。これは人間として覚りをもって生活をしておられた、真のブッダ師匠を持たず、またはその信仰を持たない事から生じるのであろう。
 釈尊やその直弟子たちが、家族を離れ、托鉢乞食と野宿をその曰常生活としておられるのに、金ピカの衣で権威づけをしてみたり、家族に取り巻かれていたりで、どのような心情を持つのであろうか。
 こうした真生活が厳しすぎると思うならば、それへの尊敬やあこがれでよい。それこそよき信者となる事である。こうした聖者たちを尊敬供養する所に真の仏教が栄え、やがて後続者が現れるものだ。