釈尊の聖言 「施す幸い」

  釈尊の聖言 
 人の施すを見て、これを助けて喜ぶなれば、幸いを得るなり。ここにたいまつありて、数百数千の人々、そのたいまつより火を取り、食を煮、また闇を除くとも、初めのたいまつはもとのごとく、施すことの幸いも滅びることなし。
   「施す幸い」
 後期仏教になると大変徹底した哲学的教学になる。それは悟りを得たとする紀元元年頃の出家僧侶を批判し、釈尊の精神に帰れという意図のもとに作られたものだからである。
 従って入門にも達していない信者の道は説かれていない。しかも事を難しくするのは、この悟得後の宗教活動に立ち上れという内容を、一般信者にも説く。それはては深いが、生き方というものがまるで説かれない。すると信者は幸福思想哲学としを求める願望のままにご祈祷や先祖供養をする様になる。宗教者側はそれも必要とばかり迎合する。
 では釈尊は信者に幸福への道をどう説かれたろうか。まことに簡単明瞭である。施しをしなさい、それによって直ちに共々に喜べるようになると。釈尊自身、自分の身を大衆に施されて生きたのだから虚言なしだ。