尊敬と供養

「尊敬と供養」                      
 供養というと先祖にお経を上げてもらう事、先祖供養の事と、大半の人が思っている。それはこの国の仏教が「三宝」への供養こそ真の仏教であるという事を説き明かしてこなかったからであろう。
 かなりの高齢者でも三宝というものを聞いた事が無いと言う。これらの人でも、お寺に仏像が祭ってあり、その仏けさんを信仰する事が仏教だ位には知っておられる。だがその仏教としての内容中味は聞いた事がなく、従って仏けさんが人間を超越した霊的存在なのか、何かの象徴なのか、ほとんどの人がご存知でない。
 ある有名な脚本家がラジオ座談で、自分は無宗教なのに、娘が結婚した相手がクリスチャンなので、食事の時お祈りをされるのでとまどうと言っておられた。日本のインテリは祖母は信仰していた−信仰はいい事だと思う−だが私は無信仰だと言う。これが一部インテリだけならまだしも、この頃は老いも若きも、男も女も信仰というか宗教を持たないようである。
 宗教とはその人の心の在り方、心から出てくる行動の仕方−生き方そのものの価値を問題にするものである。所が徳川時代に生き方は儒教道徳で、死後は仏教でといった奇妙な分離が行われ、結婚式や祝い事は神さんで、葬式や法事は仏けさんでと、若い人までがこれをしきたり習慣として受けついでいる。若い人が宗教的なボランティア活動をするなどという事は、。まず無い。何分にもお寺さんに宗教的奉仕活動をするというお手本がないのだから無理もない。仏教を始められた釈尊は真理法(ダンマ)を人々に正導し、人々に身と心を奉仕された。だから仏け(ブッダ)である。そのお弟子たちは釈尊を見習い、法が広まるように宗教活動をする仲間(サンガ)であった。このブッダ・ダンマ・サンガが三宝である。この三宝は三つそろって仏教となる。仏け様だけの一人働きなどというの仏教ではない。「救うぞよ」「お救い下さい」こうした様式は神霊的な力の信仰形態ではあるが、教えがない。教えがないから分かりようがない。困った時には何かの力(大半は金)を求めるので分かる事を必要としない。という事は、お金で何とかなってゆけばそうした力の信仰などはいらないという事になる。
 日本化された仏教は大半が信ずる信仰である。従って分からせるという事がほとんどない。従ってお寺が観光寺院になるか、アパート経営になるか、葬式儀礼といった面での需要供給者にならざるを得ない。お寺財産の維持、家族生活の維持が優先すれば、宗教活動にわが身(単なる観念でなく)を大衆に奉仕するなどという事は、思いも寄らないという事になる。
 では本物の「三宝仏教」とは何か。三宝への供養である。供養とは財物・体・心の総てにわたって三宝に奉仕する事である。しかもそれが最大級の尊敬をもってなされるのでなければならない。このように書いている私もこの平成二年一月八日で、まる三十年、ささやかながら三宝への奉仕として仏教活動をしてきた。だが、あまりにも仏教そのものへの関心を持って頂くに至らない。そこで私に才能が無い故だと自己弁解をしていたが、今、この一文をタイプしながら気付かせられた事がある。それは三宝への尊敬が最大限になっていなかったからである。尊敬薄き信心は自我欲に過ぎないのだ。
 法に従いて行う
 信仰とすると信ずる心の問題で行動は問題にならない。
 宗教とすると考え方・心の在り方・行動の仕方=生き方となる。
この様に二つを並べると、自分はどちらを取るかという自分の選択を問われる事になる。もし選択をすれば自分の責任になる。選択行動をすればその結果は自分に来るからである。
 日本式仏教は宗教としての真髄が語られている。従って自分のはからいや選択を越えたもので、仏や本尊、あるいは自然から与えられるものとなっている。これは多少、自分なりにあれこれやってみての境地なのだが、このあれこれの初歩段階をぬくというか否定してあるから、少々関心を持つ位の人は分からない分からないとぼやき続けることになる。もしこれが教育者のやる事だったら失格だ。
 さて目を転じてというか、オリジナル仏教だとどんなだろうか。おシャカ様もその弟子も仏教教育者として失格ではない。という事は分からせる方式をとっておられたからである。
 「正導の宣言」−(三宝聖典第一部第二一項)−その時世尊、ビクらに命じたまえり。「ビクらよ、われは人天の一切のきずなより脱したり。おんみらあまた人天の一切のきずなより脱したり。
 ビクらよ、おのおの各地に正導の旅をせよ。衆生の利益のため、世間をあわれみ、人々のまことの幸福のために正導の旅をせよ。
 (二人して一つの道を行くなかれ)初めもよく、中もよく終わりもよき、意義と文句をそなえたる法を説け、完全にして円満なる清き行を示せ。人間にしてけがれ少き者あり、法を聞かずば亡びんも、もし聞かば法を悟るべし。
 ビクらよ、われもまたウルベーラのセーナ村に至りて法を説かん。」
 この一文(アーガマ経=原始経典)を読まれて驚かれるであろうか。総ての人を救うぞよとか、一切は如来の現れであるなどと言った観念的でない、生きた人間としての理想の生き方=三宝仏教の真髄が語られている。真髄とは実行実現=全現である。
 妻子愛欲・地位名誉などで足を引っ張られていては、とても釈尊の指示通りには動けない。まさにその通り、これは聖者の生き方であって信者の生き方そのものではない。最大に尊敬を払うべき人々の生き方である。これは正に理想である。理想を体得した者は、その理想の意義内容をしかも誰でも分かる様に文句言葉を充分に用意して説けとある。所がそれだけではない、完全にして円満な清らかな生活行動をせよ、である。これを尊敬せずに居られるだろうか。
 しかも法を聞けば次第に悟ってくる様な人はたとえ少数でも必ず居る。そういう人々こそ実際的な仏教対象だという。こうして釈尊白身、名も無き一寒村に向かわれた。ブッダになられて間もなくの事である。私事になるが、三十年前、三宝会を起こし仏教活動を始めたのは、この釈尊の言葉に従ったからである。仏教とは「導」と受け取ったからである。
 釈尊は四十五年間の仏教活動を終えられるに当たり、
「法に従いて行うものこそ、如来を最上に尊敬し、供養する」と説かれる。行動なき観念論になって立ち消えしてしまつ、真仏教の行く末を二千五百年も前、案じておられたのだろうか。行動なき観念信仰から、自己を証明してゆく生き方の宗教へ、考えてみれば何と世界に類例のない一大変革ではないか。
 この様な事実真実を内容とするが故に、弟子信者に対して、「尊敬と供養」をその一生を通し呼びかけられる。後は私の問題である。

三宝 第168号  田辺聖恵