釈尊の聖言 「質問」

釈尊の聖言 
 ビクの仕事に熱心とは、不善の法を捨て、善法を生ぜしむるために熱心にはげむことなり。
 ビクが保護者を得るとは、多く学びて経典に通じ、規律に通じたる長老のビクに質問なして、おおわれたるをあらわし、暗きを明かるみとなし、法に対する疑惑を取り去り、守護を得るなり。
 この三法を得れば、そのビクは間もなく法において大いなる進歩をなすべし。
   「質問」
 熱心に修道するという事は、ただ黙々と自己流でやるという事ではない。学ばざる己などはまことに知れたものだ。そこで学ぶ事に熱心でなければならないがその方法は、師や先輩に質問する事によって深まる。それはすでに相当の予備知識をもっての事だ。ところがなかなか、この問うという事が出来ない。それはその事によって自分の全実力がさらけ出されてしまうからだ。又これ程知っているぞと誇るために質問という形を取ることすらある。質問してはいるが答を聞かないという名人すら登場する。だがそうした暗く覆われた心情などが次第にベールをはぎ取るように明るみに出されるようになる。ことさら質問をさけるようでは自己をさらけ出す事は難しい。それでは守護は得られないというのだから厳しい。
 聞く難しさと問う難しさかおりなしてその人の熱心さを形成する。読書では得られない効用と云うべきであろうか。