2009-11-01から1ヶ月間の記事一覧

生き方メッセージ #35(活性化原理)

『活性化原理』 これこれの劣等感がある これほど正常な事はない 天才ですら劣等点がある 劣等の固まりの私にある 一つ二つの取り柄は何か これを伸ばせば正に満点 劣等感をバネに利用する 優等点をフルに活用する これが自己活性化の原理 [活性化原理] ラ…

勤労の聖僧 桃水 #39(8、聖僧に於ける一人の女性 その二)

私は、附言したい。 面山禅師の『桃水和尚賛伝』の中には、聖僧は伊勢の内宮外宮近辺の乞食の群にも混じっていたと伝えられている。想うに、そんな噂が、風の便りに、島原へ伝わった。知法は、それを聞いて、伊勢へは、伊勢参宮旁々聖僧を探し求めて行ったの…

松尾多勢子小伝

松尾多勢子の尊王運動' 松尾多勢子は文化八年五月二十五日山本村(現飯田市山本)竹村党盈の長女として生れた。幼時父の実家座光寺の北原家に往き北原因信を師として国典和歌を学んだ。人となり穎悟質実日夜怠ることなく学業に励んだ。十九歳伴野村(現豊丘…

考える要領 (その二)使い分け

使い分け それだから日本というのは自然が温暖だから、砂漠のように厳しくないでしょう。温暖地方だから。人間の心も穏やか、温暖なわけです。激しくない。例えばスペインなんかでも、あの踊りを見ると分かる。非常に激しい踊りです。いわゆる情熱的ですね。…

回文57 保障のマイナス (その二)心解脱・慧解脱

心解脱・慧解脱 次に仏教の専門語である心解脱と慧解脱のことですが、心=感情は安定せしめるのに、暗示方法(多くの宗教ならびに生活の実態)が可能であり、かつ、無意識にそれをやっております。それでもよいわけです。神仏、お守り札、教祖の力、呪文、さ…

仏教による幸福への成功方式 #73(第九章ダンマ 大慈悲 浄土とは別世界か)

浄土とは別世界か この救済を願う心はとかく宗教的な努力を投げ出し浄土という何もせずに安楽に居られるところのように勝手に想像し易いものですが、そうして求めて得られたところは天国であって決して浄土ではないのです。 苦とか楽とかを通りこしたのが極…

一道

『一道』 地位名誉 財産好き嫌い いかにも必要な生き甲斐 それすら価値と関係なし 比較相対の自我中心から 真の生かされに徹する道 この一道が開かれている かつて釈尊が歩かれた道 一生を懸けるに値する道 釈尊と共に歩むかど [一道] 様々な苦悩を持つの…

三宝聖典 第一部 第二十四項 燃ゆる火の教え

燃ゆる火の教え 世尊はカッサパ三兄弟と、その弟子千人とをしたがえ、マガダ国の首都ラージャガハに進まれる中途、ガヤーシーサの小高き岡に登り、都の夜の火がかなたに輝くを示して説きたまえり。 「ビクらよ、すべては燃えつつあり。眼は燃え、物は燃え、…

愛和時代

『愛和時代』 和魂 そこに日本古来の理想がある 山も川も神々も人々も和してゆく むつみ合い愛和してこそ真の世界だ ことさらに束縛することのない自由 ことさらに差別することのない平等 そのめざす所は一切が愛和する世界だ 民族性に固執する時代ではなく…

生き方メッセージ #34(創意自発の活人生)

『創意自発の活人生』 達成心がまるで無いなら 創意自発の心は生じない 工夫展開など有り得ない 遊び心喜ぶ心が無ければ 仕事も重荷の労働になる 活性の心は消耗してゆく 創意自発の心で一杯だから 生きている充実を感じとる 大切な誇り心が生じてくる [創…

解決原理 目次

解決原理 目次 【1】解決原理とは 【2】解決原理 【3】現状認識 【4】原因分析の手法 【5】目的確立 【6】実行方式 【7】現状・原因・目的・実行 【8】問題感性 【9】問題を解く 【10】集中 【11】決断と確信

考える要領 (その一)思うと考えるは違う

思うと考えるは違う 自分の考えというか、自分が思うということとは、同じようで違う。考えるということ、これは理性、思うというのは感情。理性と感情がどう違うかというのは、考えればすぐ分かるわけです。しかし普通は感情で思うことも、考えるというふう…

回文57 保障のマイナス (その一)教育の結果を見よ

「保障のマイナス」(回文57) 昭和48年9月11日 田辺聖恵 教育の結果を見よ 善友大野文男先生。お便り、コバルト25号、ならびに切手沢山にありがとうございました。 テレビのスイッチは、確に切るためにもあるわけです。当方も三月から画面が出ず、…

法句選 #31(自己確立)

『自己確立』 何ものからも支配されず 何ものからも脅かされず 自己確立する事は難しい 人は社会的動物と言われるが それは社会に従属する事でも ただ流されてゆく事でもない 自己の確立を目指すのであれば 己を己たらしめる真理を学んで 己を整えてゆくより…

仏教による幸福への成功方式 #72(第九章ダンマ 大慈悲 五逆と謗法を犯すな)

五逆と謗法を犯すな 五逆とは一、仏の身から血を出させるということ。二、父を殺す。三、母を殺す。四、師匠を殺す。五、サンガの和合をかき乱す。この五つの大逆罪のことです。又正法をそしる(謗法)とは、人々が、世尊が創始した正法によって苦を滅し、仏…

自己を超える

『自己を超える』 自己をはるかに超えるもの 正義でも神仏でも真理でも 人は何かを持つ必要がある 自己中心を一歩も出ない時 その人の幸福は枯れしぼみ 次第に苦悩を増大してゆく 自己を超えるものを持つ時 その人は幸福の質を高めて 自己の存在価値を全うす…

三宝聖典 第一部 第二十三項 カッサパ三兄弟と火神

カッサパ三兄弟と火神 かくて世尊は、ウルベーラーの林、ネーワンジャラー河のほとりに至りたまえり。河のほとりにマガタ国の人々の尊信を受けつつある兄弟三人のカッサパあり。長兄のウルベーラ・カッサパは五百の弟子をともなえり。次兄のナディー・カッサ…

勤労の聖僧 桃水 #38(8、聖僧に於ける一人の女性 その一)

八、聖僧に於ける一人の女性 聖僧は、肥前、島原、禅林寺に於て、三人の弟子を得度した。その弟子の一人に知法というのがあった。尼弟子である。 知法は、島原の富商の母であったと伝えられている。 知法は、聖僧の脱走事件を聞いてからというものは、何とか…

人間対話者

『人間対話者』 私は人間対話者である 人間は何か人間はどうなってるか 人間の生き方はいかにあるべきか 私は非力の凡なる者である 釈尊が一法を得て対話した様に 釈尊から一法を学んで対話する 外に取柄もない者である そこをしっかりと腹に入れてゆこう 人…

生き方メッセージ #33(創意自発の人生)

『創意自発の人生』 創意自発のある所に よりよき前進がある より確かな歩みがある 創意自発が生じるのは 取組みの角度が違うからだ 自由さと感動があるからだ 創意自発がコンスタントなら その人生はいつでも若々しい もの事が新鮮に見えるからだ [創意自…

人間は何のために生きるのか (完)

生きている事の意味 生きるという事の意味は、人間はどうして生きる存在であるか、これは縁生縁起、縁によって生まれ縁によって死んでいくと、そういう筋道の通りに生きていく存在であると言うことを分かるようになる。それが生きている事の意味だということ…

仏教による幸福への成功方式 #71(第九章ダンマ 大慈悲 本願)

本願 大昔、法蔵ボサツと言われる方が世自在王如来のところで永い間修行しておられましたが、もし自分が成仏する時には、自分が作る浄土には地獄、餓鬼、畜生の三悪道がないように、又もし自分が作る浄土にきたい者は必ず、こられるようにと四十八の願をかけ…

師弟協業

『師弟協業』 われかくの如く聞けり と 釈尊の直弟子たちは奉じた それは真理実現の道だから 殊更の神秘力を必要とせず 自己の深層を真理化しつつ 大衆への導きをする弟子達 それは師弟協業の仏教活動 人々への友愛に身を捧げる 人間究極としての生き方だ […

三宝聖典 第一部 第二十二項 三十人の青年

三十人の青年 ウルベーラーに向いて正導の旅をなしたまえる世尊は、道をはなれて林の中仁坐したまえり。その時三十人の青年たち、夫人らをともないその林にて遊ぴたり。 一人は夫人をもたざれば遊び女をともなえり。遊びほうけのさ中にその遊び女は、財物と…

法句選 #30(慈悲友愛)

『慈悲友愛』 例え僅かでも慈悲友愛の心が 自ずとその人にあるとすれば 自我欲に燃え盛ることはない 例え僅かでも法を求める心が その人に備わっているならば ブッダの教えにご縁が出来る 例え僅かでも静かな安楽の心が その人を満たすようになれば 周りに光…

何ものか

『何ものか』 私は何ものだというならば 教育者でも評論家でも芸術家でも ましてや事業者などでもない 何が自分を満たす生き方か 何が価値のある生き方か ただそれを求めて歩む者なのだ 釈尊仏教によって生き方をつかみ そうした生き方をしているのだから や…

松尾多勢子 「やじより」 最終幕

最終幕 「品川卿」 ふと、声が掛けられて、品川弥二郎は我に返った。 皇居内控室、どうやら物思いに更けて、すっかり我を失っていたらしい。 従者のひとりが怪訝そうに、いったい何があるのかと、空を見上げた。何もない青空と分かると、いよいよ不可解な顔…

生き方メッセージ #32(共感・対話・互恵)

『共感・対話・互恵』 今や世界が関係し合う 和合しようと対立しようと 共感的な生き方が必要だ 独善と闘争の力社会は 世界から排除されてゆく 対話的な生き方が必要だ それぞれが心を開いてゆく それぞれが英知を持ってゆく 互恵的な生き方が必要だ [共感…

勤労の聖僧 桃水 #37(7、桃水禅師と良寛禅師 その五)

私は、如上の理由に就いてすこし述べたい。 人は屡々『法悦境』なる言葉を使う。いったい、その『法悦境』なる境地は、如何なる境地であろうかというに、必ずしも、それは、宗教上の行為の上に於いてのみ見らるゝ境地ではないが、宗教的なる境地である。 宗…

人間は何のために生きるのか (その四)

空気や水に感謝しているか 空気に感謝することも水に感謝することも出来ない、実に愚かな人間だということになります。空気に感謝したことあるかということです。日本人は年とった人はお日様を拝む。お天道様。だけど空気に感謝するというそこまで細かくは普…