人間は何のために生きるのか (その四)

空気や水に感謝しているか

空気に感謝することも水に感謝することも出来ない、実に愚かな人間だということになります。空気に感謝したことあるかということです。日本人は年とった人はお日様を拝む。お天道様。だけど空気に感謝するというそこまで細かくは普通は考えない。水に感謝するかというと、そうはしない。
 
私は少しご縁のある熱心な人には三宝荒神をたてていくようにと、三宝荒神のお札を作ってあげるわけです。三宝荒神というのは、白分たちの生活を守ってくれる水を神様とし、白分たちの生活を火を神様とし、自分たちの家を建てるその土台になって守ってくれる土地を、土地の神様、土荒神とも言うし屋敷荒神ともいう。地神、土地の神様。その三つを火と水と土地の三つを神として三宝荒神というわけです。その三つがなければ人間は一日も生きられないんです。ところが仏様、慈悲とか、一切は空であるとか、哲学的なことは仏教でも言うんです。だけど、三分間、空気がなかったら生きられないという話は抜けているんです。                  
 
水を飲まなければ生きられない、まさに人類は水の所でずっと生きてきたわけです。これは人類の歴史を見ると分かる。全部川の横で人類は段々段々増えてきたわけです。水がなければ生きられない。生命と水と空気、土地は成分、一部分といっていい位です。それに対する感謝も考えない。そして余り高度な理論的な宗教をやりすぎた。作ったわけです。足が地についていないわけです。そういうなのが随分おかしいといえばおかしいんです。
 
私は、三宝荒神さんを祭ろうとする人には、今お札を作ってあげて、毎朝晩拝んで、生活を守ってもらうと、そしてまた感謝するという風に土台を作って上げているわけです。
荒い神、荒いというのは強いということです。強い神様です。それは確かに空気が三分間なければ人間は死ぬんだからこれ以上強いものはない。
 
刀でやられても死ぬとは限らない。空気が三分間なければ必ず死ぬんですから、これ以上荒い神様はない。
 
何故神様かというと、神様というのは公平ということです。私心がないということです。人間は私心の固まりのようなものです。だから気に入らない人間とは物も言わない。利害得する人とは一生懸命付き合うと、まさに私心ばっかりで生きる。ところが空気は、あるいは水は人間に対して区別しないわけです。水は人間に対して俺はお前が気に入らんから水として飲ませないぞと、区別はしない。土地はこの人間は気に入らんから建てさせないと言って土地の神様が人間に家を建てさせないようにするというような差別をするということはないわけです。だから土地は誰に対しても公平である。だから公平というのが神様なんです。差別しないということが神様なんです。

空気は直接含まれていないが含まれていると考える。
 
仏教では地・水・火・風・空それが五つ。五蘊