田辺聖恵 の検索結果:
…素晴らしさだ [経営の原理] どの様な経営目的であろうと、充分な企画と担当者の選択決定が最重要である。かつては生産だけを技術と考えてきたが、今は企画・生産・流通・サ−ビス・情報の総てを具体的なワザ業務としなければならない。 『組織も個人も経営的発想を要する時代だ』 経営を集約すれば企画と実現達成の業務であるが、この変化時代には掛ける時間、つまりタイミングと速度によって始めて立体化する。空間x時間による立体化とは人間能力をオ−ルラウンド的に生かす時代になってきた事だ。 田辺聖恵
…いて行こう [確信] 日常が順調であれば確信の有る無しにすら気がつかない。ましてやその必要性など考えもしない。順調でなくなった時何の確信も無いとしたら、最適といわぬまでもよりよき対応が出来るかとかねてに考える必要がある。 『確信も芸と同じく一日一日の積み重ねだ』 不調の時に確信があれば大きな力になるのは勿論だが、順調の時でも確信をもっての日常は充実度が大きく違ってくる。未来が必ずしも予定コ−ス通りでない以上、かねてに確信を積み重ねてゆく態度習慣が必要ではなかろうか。 田辺聖恵
…あるからだ [前進] 仕事をする上においても人生そのものにおいても、前進的でなければ喜びも充実も得られない。問題はその前進が相当な努力や学習、決意や見通しと様々なものが必要だという事だ。まさに毎日々々の積み重ねが必要だ。 『人生総ての面でよりよき前進が必要である』 よりよき前進というのであれば、単に競争に勝つとか、自分中心の自我欲を満足させるといったものではない。よりよく人間らしさが現れるものでなければならない。そこには当然、経済主義への反省が必要になるはずである。 田辺聖恵
…実現する [相対・絶対] 幸福・不幸に一喜一憂するのは相対的な生き方だが、それらの生き方を客観的にとらえて振り回されない生き方をする事は可能である。真理理法は絶対であり、その事への認識と信頼と実行が真の幸福をもたらす。 『幸不幸を客観的に見るのは生き方学の始まり』 幸不幸に左右されないいわば絶対的な生き方をした先人から、どの様に学習するかが自分の生き方を決定する。そこから自分独自の生き方も展開されてくる。先ずは相対と絶対とを意識する事から生き方学が始まると言えよう。 田辺聖恵
…生を形作る [単純明快に] 考えてみれば生きる事は一つだから単純である。苦しむ為に生きるのでないから明快である。所がなかなかそうはならないのは何故か。何かを求め何かと比べたりして、生きる事へのひたすらがないからだろう。 『人生とは生き方を単純明快化する過程である』 生きる事を自分なりに原理化する事が生きる事のコツと言えよう。多くの人は何をするかと考え、どう生きるかとは考えない。従って生きる事が仕事への手段となっている事に気付かない。こうして生きる事が複雑不明になる。 田辺聖恵
…になる [究極の生] 経済的に豊かになり、文化的にさわがしくなり、あぶくの様な生き方が一般化してくる中で、何の為に生きるのかと問い続ける事は至難になる。しかし一方で反動的に究極の生き方を求める者が現れるのも自然である。 『人は究極の生を想定し得る価値存在である』 自我欲をみつめる程に熟成してくると人はそこに虚しさを感じる様になる。この虚しさを埋めるのは自己の価値化しかない。そこから真の価値追究が始まり真理真実への到達、その内容の自己実現、真我への転換的生き方となる。 田辺聖恵
…る [学びは道となる] 学校教育は学びの道であり、学ぶ方法を身につけるものである。こうして学び続ければ学びが新しい道を作るものである事が分かってくる。こうして人類が前進してゆく道は常に更新されてゆくものである。 『生涯学習が必要なのは人生が固定していないからだ』 学びは目的達成の方法となる事が多いが、根本は一生をかける程の目的を形成しかつ更新展開するものである。学ばねば停滞渋滞となり、よりよく生きる事の失格者となる。こう考えれば高速は学びの排除と言えるかも知れない。 田辺聖恵
…デザインをだ [メッセージ] たった一枚の走り書きのメッセージでも自分宛に書いたろうか。頭の中では色々考えるにしても、自分の未来図を紙に書くには至らない。どの家庭の壁面にもそうした書き物はない。風景画がある位なものだろう。 『自分へのメッセージが自分を新鮮にする』 昔からの大商家で家訓を掲げてあるのをテレビで見た。家庭でも個人でもこうしたメッセージがあればそこに活気が生じるに違いない。ちょうどアンパンのように中心部に核があると全体がその中心に向かって形を作るように。 田辺聖恵
…きる世界 [共にの世界]−歩き始めた幼児は次第に行動範囲を広げる。だが見事に自分中心である。だがこれが無ければ自立という事も出来てこない。自分中心の中に次第に他と共にあるという意識配慮が形成されて共に生きるとなる。 『自分中心から自立へと人は共に歩んでゆく』 「共に生きる」には共に生きた事による「共に生かされ」の実感が十分ではない。その様な世界に生きる為には共に学び共に行じる面が増大しなければならない。こうして人は共にの世界の中で、真の自立を熟成的に生きるであろう。 田辺聖恵
…て生きる喜び [生き方を意識して]−元気者ですら時に落ち込むのだから、並の元気さではチョイチョイ落ち込む。そこで自分を励ますか思い代えの方法を何か身に着ける必要がある。病気に免疫性が要る様に落ち込み免疫をかねてに作る事だ。 『生涯学習の中核は生き方学であるべきだ』 仕事やスポ−ツは学習するのに、生き方を学ぶという事は余りしない。自然に出来ると思いこんでいるからだ。仕事は何の為にするのか、答えはすぐ出る。では生きるのは何の為か?生き方学の必要に気付くのは何才だろうか。 田辺聖恵
…ってゆく [歴史証人]−同日ニュ−スに一教師が殺され一教師が人を殺す。かつては聖職とされた教師がである。自由社会であればこそだが、それは国家によって生き方が決められていない事を示す。この自由を無価値にして良いものか。 『自由選択の重さに気付く事から真人になる』 イエスを十字架に掛けた人もイエスによって救われた者もいる。釈尊の様に人生を悟った人もいれば、芸術に生きる者もいる。それぞれが歴史の証人である。これらを通観すれば人類は発達過程であると言わざるを得ないであろう。 田辺聖恵
…かされる世界 [共に生かされ]−天地自然理法一切によって生かされているという実感が持てる様になるのは中年になってであろうか。この生かされ意識から自分をどう生かすかとなる。自分を生かしてきた者のみが生かされに気付く事にもなる。 『自分を生かしてこそ生かされとなる』 福祉行政は確かに必要だが、大いなる生かされに気付く事は難しくなるかも知れない。真の福祉はこの大いなる生かされなのではなかろうか。人間同士と物だけの世界に埋没していると、生きてゆく意味を見い出しかねて終わる。 田辺聖恵
…だ [生き方根拠]−何の為に生きるのか(目的)、何を根拠に生きるのか(根拠)、どの様に生きるのか(方法)この三つが明確でないならば、真の充実も喜びも得られない。生き方を学として学習せねばならない理由がそこにある。 『自分の生き方に徹する時、自ずから利他となる』 学とは了解、納得である。人生とは生きる事の意味を了解し、その意味価値を実現する為に生きる事である。仮に他から何等自分が認められなくても、自分で自分の存在価値を自覚出来た時に、人は例外なく充実と喜びが得られる。 田辺聖恵
…えようか [負の文化]−余りごてごてした物を好まず、スッキリした物を好むのが大方の日本人であろう。そうした指向性が自ずから余分なものを省いてゆく日本文化を作ってきた。それは今後も続くであろう。たとえ都市型になろうともだ。 『日本的な負の文化にはしなやかさがある』 淡白さはか弱さに通じる。脆さはかなさにもなる。だからと言ってしたたかさになれと言っても、体質のような精神性は急に変えられるものでもない。むしろその淡白さに徹してゆく方が脆さのカバ−も出来るのではなかろうか。 田辺聖恵
…を感じる心を大切に [ちょっとした美しさ]−心に余裕を持つという事は、ちょっとした物やもの事に美しさを感じる事かも知れない。季節に敏感なのは日本人の特色と言えよう。この頃はいくらかそれを忘れる傾向がある。少々華美になってきた様だ。 『日常人の美感はちょっとした所にある』 豪華さは時にはあってもいいが、それらに取り囲まれたら人は息苦しくなる。小さな美しさなら、それがいくら沢山あっても心は和やかでおれる。そこに余り人工を加えない日常的な人の在り方があるのではなかろうか。 田辺聖恵
…文化ぶりに驚かされる [異文化]−かつては蒸気機関車が異文化外来として登場、今や飛行機、原子炉。自動車を異文化とは誰も思うまい。オリジナル文化を持たない国は滅びる。さて日本人の文化とは何だろうか。忙しいだけの毎日だとしたら。 『外国異文化にふれて、さて日本の文化とは』 古い寺院、歌舞伎といった古文化は、今日の日本人の文化になっているのだろうか。侘び寂びも中世の金持ち文化だとすれば今日のものでもない。忙しいとは心を亡くするという字だが、その心こそ文化の主体なはずだが。 田辺聖恵
…すものだ [自発人生]−人は過去で生きるのでない。これから何をするかで生きる。生命とは行動的存在だからだ。何かをする、行動する事が他への愛情につながってゆく。何もしないのは愛情でない。愛されるのは自分の愛情ではない。 『慈心→愛行=幸福→慈心→愛行の循環人生』 何かをするという愛行によって慈心愛情が生まれる。そこから本当の幸せが生まれる。愛情々々とさわぐ人が不幸になるのは愛される事だけしか考えていない事に気付かないからだ。愛とは本来自発性のもので受け身のものでない。 田辺聖恵
…なのだ [最必要]−自分はという場合と人生はという場合はかなり違う。前者には客観性が少なく後者には客観性がある。自分を突き放して観察すれば、どうでも良い物や事柄をやたらと求めている事が多いのに気付いて苦笑するものだ。 『人生への客観力は人生初期に持つべきである』 人生は無一物で始まり無一物で終わる。だがその間を生きたいように生きればいいというものでもない。それでは空しいと感じる感性や価値意識があるからだ。オモチャや勲章を捨ててもなお残るものは何か、そこに人生がある。 田辺聖恵
…思議さ [生かされの不思議]−若者が車運転して激突、あっけなく死んでしまう。やたらに愛情を求めて傷付け合う。政治権力争いで果てしなく戦争する。貧しくても豊かになっても感謝して生きるという風になり難いのは何故だろうか。 『生かされの事実認識が真の生き方となる』 人間に限らず一切は生かし生かされの互恵関係にあると、二千五百年前に釈尊は真理を発見された。この互恵真理の線に沿って生きれば自己破綻もなく、他を傷付ける事もない。自ずから一切に感謝せずにはいられない生き方となる。 田辺聖恵
…目的達成となる [希望と達成]−伊藤みどり十八才ジャンプの伊藤となる。自分の力を出し切った時の笑顔。どの様な俳優でも見せる事が出来ない笑顔だ。それは又自分の力を出し切る者すべてに与えられるものでもある。チャンスは公平だ。 『希望は次第に目的となって達成される』 希望のない人生を持つ事も希望に満ち溢れた人生にする事もその人の自由である。自由とは自分次第という事だ。それは周囲のせい、理由にしないという事だ。こうして人は希望を目的達成へと転換してゆく。人生をジャンプする。 田辺聖恵
…識から実現意欲行動へ [イメージ実現法]−感動を受ける感銘を受けるのを人は好む。そこには自分が行動を起こすエネルギーを必要としない安易さがある。自己実現型の人間は受ける感動感銘を取り入れエネルギーとして、実現エネルギーを高める。 『能動型人生はイメージ実現法を活用する』 受動型と能動型とにこれから二極化する。仕方なく働く時代はどちらの型かも意識されないが、こらからはそのどちらかで評価されるし、自分の生き方も明確化する。あいまい型は落伍せざるを得ない社会になってゆく。 田辺聖恵
…時を人は生きる [時]−時の流れともの事の変化とは同じと考えてよかろう。時そのものも今日から明日へと変化している。時とはもの事の変化につけた人間の観念と言うべきであろう。その時に振り回されるかどうかが生き方のポイント。 『時の意識が薄いとその人生も希薄になる』 もの事次第で、早い変化と遅い変化のものがある。一人の人間でも子供の時と大人の時では大いに違う。成人でもより魅力的にあるいは熟成的に常に変化して行く人がある。時を意識して、焦らず滞らず悔やまずで生きたいものだ。 田辺聖恵
…ぶべきだ [心の支え]−経済的には保証され、さほど体の病気でないにしても、じわじわと押し寄せてくる孤独病に犯される。それは学校時代から始まるのだから根深い。心の支えになるものを、何一つ学ぶでも身につけるでもないからだ。 『己を越える神・仏・真理が心の支えになる』 対人・対仕事関係ではいずれも人間かカネ中心であって、人間を越える対宗教が欠けている。神・仏・真理いずれでも良いが納得ゆくまで学び、心の支えとして身につけねばならない。本当の人生は実はそこから始まるのである。 田辺聖恵
…指す [くじけずおごらず]−何かの達成目的がある時、人は希望の火を燃やす事が出来るし、必ず達成出来るという信念も持てる様になる。それは人間が達成的存在だからだ。それは又行動的存在という事であって、違反すれば苦しむ。 『目的→行動→達成=充足→目的=ら線的向上人生』 苦しい時に局面逃避するか初心前進するかだが、順調な時にも停滞慢心するか、初心検討するかの二様がある。人生の半ばにして、こうした心的態度の必要を痛感する。それによって人生の後半の在り方が決定してくるからだ。 田辺聖恵
…す暮らしの時代 [暮らしを作る]−一方では企業そのものがつぶれるというのに、庶民の生活は高級志向となる。さらに自分の趣味を生かして暮らしを作る時代になってきた。それが感性の時代という事であろうか。自己表現の時代とも言えよう。 『仕事人生は、今や終わりつつある』 食う為に働くという時代から、働くのが好きだという時代へ、そして今や暮らしを作る時代になってきた。という事はどういう暮らし方、生き方をするか、自分で判断選択をせねばならないという事である。豊かさの難しさである。 田辺聖恵
…ねばならない [岐路人生]−価値の多様化などと言ってもそれは欲望の多様化にすぎない。そうした事への正当な判断が人生価値へと向かわせる。一体本当の価値とは何かと煮詰めてゆく事が価値であり、その結果こそが真の価値である。 『人生の重さとは選択と責任のセットにある』 価値を探求しその体得によって真の充実を得る人生とするか、飽食徒労の人生とするか、人はその岐路に立たされている。しかもその選択は毎日こと新たにせねばならない。自然にそうなるといった無責任人生などは無いのである。 田辺聖恵
…賎民」と知るべきである。(毎田周一訳 釈尊にまのあたり 一周会刊) 怒りと怨みをいだき、よこしまなる思いにて、他の美徳をかくす邪見をもちて偽りある人を、いやしき人と云うなり。(田辺聖恵訳) 釈尊は生れではなく、その人の行為思にいが貴賤を決めると云う。邪見とは善悪を知らず依因善果悪果を認めぬこと。この中の一つでも賤人凡夫だが、他の美徳をかくすとはまさに人間の深層をえぐり出すもの。気付かぬことを気付かせられるまで、法を学び、反省に反省をしてゆかねば人間としての甲斐がない。田辺聖恵
…どうか [性格と本質]−感情的に興奮し易いとか、考え過ぎて行動に移りにくいとか、誰でも性格としての特性を持つ。又それにこだわるかまるで無反省かも性格的である。それをパタ−ン的に知る事によってどう対処するかが決まる。 『個的性格と人間本質の組み合わせを人は生きる』 人間には動物には見られない特性本質がある。対他的な愛情に過敏すぎる事と、自分の存在価値を求める心が強いという事である。この事が人間を混乱に陥れたり、限りなく向上熟成させたりする。選択的生き方が必要な理由だ。 田辺聖恵
…えよう [流行不易]−明治時代、西洋画にふれて画き出した油絵と、今日の油絵は格段の相違がある。総てのもの事が近代現代になるにつれて、その変化の度合いを増している。その総ての面に合わせようとすると、無理する事にもなる。 『流行に敏感である事は傷つき易い事でもある』 時代変化に合わせる面と、時代に関係なく自己革新してゆく面とがなければならない。そのどちらでも自己の不易の面、本質がしっかりと把握されていなければならない。むしろこの面を自己確認する事の方が難しいと言えよう。 田辺聖恵
…する事だ [構成創造]−抽象から抽象へと考える事も一つの構成ではあるが、一般には考えてそれを形に表現する。この抽象から具体へを繰り返す事によって、抽象能力つまり考える力は増大する。幼児は思って行動しその能力を増す。 『自発衝動の線上でなければ真の生命にならない』 生命衝動は形をとって生きるものであるから、その自発性と構成創造能力を満たさないと苦しむ様になる。便利さに慣れ、常に受け身的でれば、その生命は自発性を失いやがて生命でなくなる。この生命原理で生きねばならない。 田辺聖恵