経集 116

116 「忿ある者、また恨ある者、また覆(偽善)ある悪人、悪邪見ある者、?ある者、彼を賎民なりと知るべし。南伝大蔵経 第二十四巻 小部経典二 一 蛇品 七 賎民経 四十三頁)
いつもいらいらしている人のあらばかり探し、意地悪で無慈悲で偏見に捉はれた偽善者、彼を「賎民」と知るべきである。(毎田周一訳 釈尊にまのあたり 一周会刊)
怒りと怨みをいだき、よこしまなる思いにて、他の美徳をかくす邪見をもちて偽りある人を、いやしき人と云うなり。(田辺聖恵訳)
釈尊は生れではなく、その人の行為思にいが貴賤を決めると云う。邪見とは善悪を知らず依因善果悪果を認めぬこと。この中の一つでも賤人凡夫だが、他の美徳をかくすとはまさに人間の深層をえぐり出すもの。気付かぬことを気付かせられるまで、法を学び、反省に反省をしてゆかねば人間としての甲斐がない。田辺聖恵