田辺聖恵 の検索結果:
…歴史を作る [自己の選択統合]−いわゆる価値の多様化とは欲望対象の多様化であって、向上的な価値の多様化ではない。人間は誰しも欲望的な面と欲求的な面の両方を本質として持っている。この二者間の選択において人は常に動揺する。 『人は選択能力を増す事において統合的になる』 悪者はよく眠るというのは、反省動揺がないからであろう。せっかくの人生だから向上的選択をするという、自己基準を持てば動揺は収まり、自己が統合されてくる。この方向において人は苦悩を解決し、歓喜的生き方になる。 田辺聖恵
…の様な心であるべきか [心・心・心]−勤勉実直余り急がないのが日本人だったのに、明治の西欧に追い付け工業化以来、人々は己の心を見失うほどに多忙になってきた。つまり多忙が往来するので、人の影はますます薄くなりつつあるという次第だ。 『高速道路を急ぐ心が走り抜ける』 道路に死亡事故多発地点と高札。死亡の字には心がもう付いていない。そんなに急いで何所にゆくのかという訳だ。かつての道は歩いてゆくものだった。尋ね訪ねしてゆく道は忘れられ、突っ走る機能本位の道路だけが四通八達。 田辺聖恵
…が人生を輝かす [理想意識]−平和が理想のように叫ばれるが、それは戦争に対する相対的なもので、自分が犯されかければ直ちに変更される。平和によって個々の人間がどの様な生き方となるかが個の人間の理想内容にならねばならない。 『物に囲まれると理想意識が見えなくなる』 かつての日本は富国強兵を国家理想とした。そしてついに敗れた。今は国も個人も経済原理だけで動いている。理想意識のひとかけらも無いから、多くの人が失速して脱落人間になってゆく。日本中が空中戦争みたいになっている。 田辺聖恵
…求め出す [真の幸せへの道]−余り健康でなくても経済的に豊かでなくても、家庭的に多少の問題があろうとも、仕事が最適というのでなくても、自分はこの様な自分であるという核の様なものがあるのが、真の幸せと言えるのではないか。 『真の幸せは自己を発見し自己確立する事』 一般では社会的に有益な仕事で人の価値を判断するが、その仕事を止めるとその人の価値がなくなる事になる。日本は肩書社会で、人を人として評価出来ない。未だに官民社会。こうした中で自己を発見し自己確立するのは難しい。 田辺聖恵
…リジナルに生きる]−知識情報時代という事は知識が一般普通化する事である。それは個性的な発想の土壌となり発想を要求する。つまり人は知性的に普遍化と個性化を同時平行させねばならない。それは安易さの反対である。 『これからはより発想的により達成的に生きねばならない』 かつては設計者と製作者は分業していた。これからは協業相互乗り入れになってくる。一人において発想と行動が分離であってはならない様に、仕事企業も人の生き方も発想と行動の緊密さが要求される。実現達成力の時代になる。 田辺聖恵
…ておく事だ [感動共鳴]−淡々と暮らすというのが願わしいものとされてきたが、それは必ずしも悟った結果のものではなく、一歩退いた逃避的なものになり易い。本来悟るという事は真実に深く感動共鳴するものであり、生きる意味である。 『真実へのセンスと感動共鳴能力を高めよ』 真実に感動しないものが悟るという事はあり得ない。悟りは自己が真実と同化する事であるから、感動共鳴のプロセスを経なければ成立しない。それも求める心が強くなければならないが、その求める心こそ感動共鳴能力である。 田辺聖恵
…き方をしたいものだ [遊び心]−真面目一方というのでは心に余裕がないし、余り喜び感動も無い。それではロボットのようなものだ。人間の特質は喜び感動を持ち、その質を高めてゆく事である。仕事の歯車部品になる事ではないはずだ。 『余裕が遊び心を作り、遊び心が余裕を広げる』 日本人にはユ−モア感覚が不足と言われる。何かの遊びをしてもすぐに真剣に取り組むといった事になり、まるで精神修養になってしまう。それは自己が見えないという事だ。ユ−モアの基本は自己が客観視出来るという事だが。田辺聖恵
…らす [学行相照]−仮に行動する事を学んだのでないにしても、その学びの影響はその人の行動に反映してくるものである。何故ならば、人間は考え学ぶ本質と共に必ず行動する本質を持つからだ。車運転を学べば乗りたくなる様に。 『学行相関性は人間原理であり善にも悪にも及ぶ』 学んだ事を鏡にしてその行動を照らし出し、行動を鏡としてその学び加減を照らし出す。まさに学と行動は相照らす相互関係にある。ガンの使い方を覚えれば打ってみたくもなる。善にも悪にもなるから学行一致は恐ろしくもある。 田辺聖恵
…は成り立つ [ワンセット]−いわゆる歩くだけなら空を見ながらでも歩けるが、車運転となればずっと先を見なければならない。イヤこの二つは次元が違うと考えるべきであろう。人間と機械だから。これを同一次元とする所に問題が生じる。 『人生は単純と複雑のヤジロベ−である』 物に裏表があるように、価値評価の仕方にも幾通りもがある。一つに絞る場合とワンセット平行させる場合とがある。絞れば鋭くなるが破れ易く、平行は安全的だが鈍行となる。今や選択と総合を常にセット化しなければならない。 田辺聖恵
…ツさが大いに必要だ [ガッツさ]−日本の美術工芸を見るとまさに繊細優美である。この温暖で同一民族という平和さがそうした心情性を育ててきたのであろう。しかしその根底に農業という土着性、しぶとさがあった事を忘れてはなるまい。 『生きる事は本来カッコイイものではない』 現代人が工業化商業化しているのに、ある程度の図太さを失っているのは問題である。何故ならこれらの仕事は広域的であり非心情的であるから人間抹殺になりかねない。ここで改めて生きる事のドロ臭さを持ち直す必要がある。 田辺聖恵
…たいものだ [共に生きる]−貧しい時に人々は協力的であるが、豊かになるほど自我本位になるのは悲しい事である。それは真実から遠のく事だから。語り合う事を求めている人が回りに沢山いるのに気付かないとしたらその心は貧しい。 『友人でなくても人は語り合う事が必要だ』 共に生きるという事はただ単に物を別ち合う事ではない。その事の本当の意味は心を通わせ心を別ち合う事に違いない。この心の別ち合いが難しいのは真実の方へ心が向いていないからだ。真実を中心にして共に生きるが可能になる。 田辺聖恵
…たい [客観主観]−相談業務が必要かつ価値があるのは、客観性と広い情報が今日特に必要になってきているからである。複雑な社会においては専門力を相談し合ってゆく事が必要であり、それはまた互恵し合う高度社会でもある。 『客観だけでは動かず主観だけでは方向をあやまる』 流動社会という事は常にどこかで推進が行われているという事である。それは信念や衝動といった主観的心情を原動力とする。自らもそうした主観的推進体にならねば、受動的に押し流されかねない。主観性の必要な理由がそれだ。 田辺聖恵
…に、物事の支配を、あかせてしまへば、そこに没落の始まりがある。(毎田周一訳 釈尊にまのあたり 一周会刊) 酒に溺れ、みだりに財を使う女又は男を、王の位に立つるはこれ亡びの因なり。(田辺聖恵訳) 今日は酒どころか麻薬中毒がふえて、いきなりの殺生。まさに自他共に亡びる。新婚旅行の飛行機が山に激突して死亡。財は謹しみも畏れも失わさせる。 王の位とは真に自立し、他のために力を尽くす人ということか。大いなるものより見られているという意識がない時、人は幸福という毛皮を着た動物だ!田辺聖恵
…晴らしい [喜び人生]−手放しで喜べる様な事がそうそう有る訳はないが、虫眼鏡で見るほどの喜びが無いはずはない。それはちょっとした心の態度の問題だ。道を行くのにチラッとでも青空を見てヒョイと喜びを感じる事も出来るはずだ。 『結局人生は喜びの大小よりも連続性にある』 苦楽の落差が大きいと凡なる人間はマイッてしまう。カニは自分の甲羅に合わせて穴を掘るそうだが、凡なる人間は小さな喜びを小まめに見付け、その喜びを数珠つなぎにするのが良い。ちょうど、れんげ草で花輪を作るように。 田辺聖恵
…い [一貫持続]−人間一度や二度は転機を迎えるものだが、それが何度であろうと自己化してゆかねば、真の情熱にまで高まる事はない。どんな人生であろうとさせられて生きるものではないし、そうあってならないのは自明である。 『生きる事の価値において人は熱狂的になれるか』 芸術の世界や仕事においては熱狂的になれる人が多いが、生きる事自体を何の為に生きるのかと、ひたすら追求し、その道において熱狂的な程の生き方をする人はめったにいない。もしそういう人がいたら尊敬しなければならない。 田辺聖恵
…自己存在の意味付けが出来るからだ [スリ−ステップ]−若い時の挑戦は結果的には自己との闘いになっている。従ってこのステップを踏まないととかく逃げの人生になり易い。限界への挑戦や様々な自己訓練があって初めて自然体が身についてくる。 『人生には人生三分法的観察が必要だ』 挑戦にしても自然体にしても多分に対他的である。仕事や対人をぬきにして、さて己の一生は何かと対自的になると真の思索が必要になる。それは人間の本質に関わるから、人間としての真理を学習しなければならなくなる。 田辺聖恵
…びを感じるからだ [能力を伸ばす]−学校教育があまりにも点数評価になって若者に意欲を失わせているが、適切な学習は本性として誰でも好むものである。生活も仕事も(学習)熟成も、無理や強制をなくして、この本性を土台にすべきである。 『学習が喜びであるのは能力アップだからだ』 人が能力アップに関心を持たなくなるのは、回りの環境が一定水準を期待しそれ以下を否定するという態勢だからである。能力水準は個人別と組織別の2本建でなければならない。そこから2つの近接は有り得るのである。 田辺聖恵
…まりがある。(毎田周一訳 釈尊にまのあたり 一周会刊) 盛りをすぎたる人がティンバル果の如く盛り上れる乳房ある女をひき入れ、彼の女への嫉妬にて夜も眠らざるはこれ亡びる人の因なり。(田辺聖恵訳) 釈尊ほど愛欲の恐ろしさを痛感した宗教者は少ない。その明解な結論が「愛欲は苦の因」。時としてそれは死の恐ろしさ以上になる。人を狂わせ生きながら亡びている人、これを見すえねばならない。その中に己があること、その愛欲と斗わない宗教などないことを、今日ほど強く思わせられる時はない。(田辺聖恵)
…あるものだ [自由選択]−何の為にあるいはどの様にという、生き方のすじ立てがこれ程必要な時はない。封建時代は殿様の為に、貧しい時は食う為にとハッキリしていたが、今日はそう簡単に行かない。時代そのものが激変しているからだ。 『生き方学が必要なのは自由時代だから』 豊かになってきたという事はどの様に生きても自由という事である。自由とは生き方を自分で選択せねばならないという事なので、選択というすじ立てをしなければ、その人は混乱迷路の一生を送るという実に難しい時代になった。 田辺聖恵
…なのが文明なのだ [ 問われて生きる ]−与えられた仕事を黙々とやる、こうした生き方で間に合えば幸福も得やすい。しかし今はまず仕事を自分の責任において選択する事から始めねばならない。しかも自分が好む仕事が容易には見付からない。 『文明文化の特質は専門分化にある』 能力社会とは、社会や組織が人間の能力だけを評価・選択して人間をト−タルで見るのではない。こうして能力と人間性は分離化されるのが文明社会の特徴である。従って意識的に自己統合を計らねば、人は衰弱破滅に至り易い。 田辺聖恵
…も出来てくる [ 人生手本 ] 個性を生かせなどと言われても何が個性かも分からない。物を作る事などには個性も現せるだろうが、生き方そのものとなると、そうそう反社会的にもなれるものではない。さて基本の生き方を習っているだろうか。 『生き方の学習には基本を選定せよ』 人間が社会的存在である以上、関わりに徹して生きる外はない。深く慈しみ、悲しみを分け合い、喜びを与え、施捨しての平等心、この仏教における慈・悲・喜・捨−四つの無量の心も生き方手本の一つの代表と言ってよかろう。 田辺聖恵
…様な生き方 [ 誰でもの願い ]−物の豊かさから心の豊かさへと言う時代になった。だがこれが急々にそうなってきたので、一体何が心の豊かさなのか良く分からない。せいぜい海外旅行を思いつく位で、苦しんでいる人の事など考えもしない。 『心の豊かさは学び取るものである』 心の豊かさの根底には、生活的な安定が必要であるが、それは経済だけではなく、宗教的な生かされの感覚が必要である。また安定は停滞になり易いので心のハリがなければならない。それは何かに役立つ事によって得られてくる。 田辺聖恵
…き、ひとの妻達を訪ねるのは、そこに没落の始まりがある。(毎田周一訳 釈尊にまのあたり 一周会刊) おのれの妻にあきたらずして遊びの女、他人の妻に交わるはこれ亡びる人の因なり。(田辺聖恵訳) 出家者は不淫、男女関係一切をしないことが戒律。在家信者は妻以外の不倫を行わないことが戒。これが出来がたいからこそ戒や律が必要となる。しかも教えられねばその必要すら分らずまさに畜生道となる。今日最大の亡国の徴は、日本中あげてこの愛欲畜生道へつき進んでいること。金廻りがその後おし。(田辺聖恵)
…ドすればいい[肯定・否定]−肯定的楽観的という事は、もの事を深く考えないという事ではない。考えられるだけ考えるが完全に答えが出ない場合、必ず答えが有る、出ると信じる事である。もし行動する事であればその時点で行動開始する。 『この多様時代にはベター主義が必要』 完全主義は結果へのこだわりが強いからとかく、もの事に対して否定的悲観的になる。べ夕ー主義は限りなき接近、アプローチであるから直ちに行動開始が出来るし、方向変換もし易い。もしこだわり性が強ければ後者を取ればいい。 田辺聖恵
… [ 人生半ば ]−何の為に生きるのかとか、自分の存在価値とは何かとか、若い時には余り考えなかった人でも、中年の坂に来れば自ずから、自分の人生を意識する様になる。それは今までの反動であり虚しさのほの見えかも知れない。 『自分の存在価値を考えるのは幸福以上である』 若い時にいかにも価値がある様に思えて突進したことがあったにしても、振り返る頃にはたいがい色あせて見えるものである。それは今までがムダだったのではなく、そうした過程の上にしか人生の熟成は無いという事であろう。 田辺聖恵
…ねばならない時だ[自己証咀]−白バイが来て免許証を見せろ、とテレビでよく見る場面だ。病院でも受付でまず保険証。自分が自分を証明するのではなく証明書が証明する何とも奇妙な時代。これは人間不信の現れでもある一つの悲しさだ。 『今や己はかくかく也との自認を請求されている』 証明書がまかり通ってオレが言うのだから間違いないと言ってもダメという事は、単に人間不信に止どまらず、実は人間省略を意味する。せめて自分だけでもオレはオレだと自認出来るのでないと生きている事にはならない。 田辺聖恵
…て生きなければならない「人間としで生きる」−人間が生きる、犬が生きる。当然自然。だが人間として生きるとなると、人間理解、人間感性が土台としてなければならない。物を作るとか、金銭だけ目当てに生きるとしたらその為の道具になってしまう。 『人間として生きるのは人間把握から』 文学は人間理解の一方法。通俗ドラマでも人間種々相を学べる。心理学、哲学となると人間の核心に迫る。道徳は幸福や価値を追求し、宗教は人間究極を示す。何かによって人間を学ばねば、人間として生きる事は難しい。 田辺聖恵
…からだ [譲施互恵]−かつての封建社会では自分の分を守る事が必要であった。既製枠を総て良しとするものであったが遂に破綻した。自由社会は改良原理を持っているが、競争不和となり易い欠点がある。譲施はその潤滑油となろう。 『個人道徳も地球規模の普遍性が要求される』 個人道徳もその国家体制の変革によって変わる面がある。だが何時でも何所でも通用する、普遍にして不変な倫理も必要である。その一つに譲施を上げて良かろう。それは自分本位を脱却する意図を持つからである。確かに難しいが。 田辺聖恵
…は違う説話をする釈尊が気に入らない。そこで自分の信条を貫ぬくべく問答をしかけにくる。だが怒りの心にとらわれていては、問答どころかそしりののしりを吐き散らす。信仰の心は願いがかなえられれば喜び、期待が外れれば怒りとなる。さて宗教ともなれば、そのような我欲中心を教えられ、人間としての真の在り方を求めるようになる。 この短いお経によって、修道者の在り様を教えられる。そして人間対人間としての対話によってお互いが鮮明にされてゆく事が教えられる。難しいがまた実に分かりいい道だ。 田辺聖恵
…あるように [和合聖全]−自立のない者同士が寄り掛かり合うのは和合とは言えない。それは利用し合いでやがて派閥が出来る。孤立独存はあり得ない社会の中で本当に自立する事は難しいが、その自立方向においてしか真の自己安定はない。 『和合充実が思想行動の確かな基準となる』 より自立的な一人々々が和合し、時には組織化し、幸福や聖境が広げられてゆく。歴史的にみれば人類はたどたどしいがその方向に向かっている。戦争すら平和への手段なのだから。人類は自分中心を乗り越える歴史とも言える。 田辺聖恵